Diver[散文100のお題/15.意識という深い海]

 飲み込まれる!
 そう思った瞬間、俺は、ソレに飲み込まれていた。

“アサギ、無事かい?”

 スオウが通信を送ってくる。

“かろうじて。早く助けてくれよ”
“今カイハクが行くよ。それまで、取り込まれないようにね”
“了解”

 通信を切って、俺は深くため息をついた。
 いくら仕事とはいえ、何度経験しても慣れることがない。
 人の精神世界に入り込むことは。
 こういう仕事をしていると、人間ってのが、いかに凄い生き物かが分かる。
 人間ってのは、素晴らしくて、怖い存在だ。
 その身の内に、暗くて深い海を抱えている。
 「意識」と呼ばれる深い海。
 その中に入り込んで、その人の記憶や感情を探し出すのが、俺達の仕事だ。
 重要な仕事だと、頭ではわかっているけど。やっぱり、慣れるものじゃない。今日みたいに、意識に飲み込まれることもあるし。

“アサギ。どの辺だ?”

 カイハクからの通信に、慌てて座標を送る。

“届いた?”
“ああ。(Dx−2000,Dy−6503,Dh−8135)だな”
“うん”
“すぐ行くから、待ってろよ”

 そういえば、カイハクやスオウはどうなんだろう。この仕事に疑問を持ったことはないんだろうか。
 長年仕事をしているけれど、そんな話をしたことはなかった。
 今度、聞いてみよう。
 とにかく、今はここから抜け出せるようにしなくては。
 俺は手早く精神銃をセットして、立ち上がった。
 慣れない、なんて言ってみても仕方ない。
 俺は明日も、ここで戦わなくちゃならないんだ。
 この、意識という深い海で。



Exclusive[散文100のお題/23.相容れないもの]

 何を見るか。
 何を聞くか。
 何を受け入れるか。
 何を拒絶するか。
 何を見過ごすか。


 スオウは指を折りながら、言葉を並べた。

“この中で、大切なのは何だと思う?”

 俺が答える。

“…何を受け入れるか?”

 スオウはにっこりと笑って、顔を横に振った。

“何を見過ごすか、だよ”
“どうして?”
“人と、うまくやっていくためにさ”
“見過ごすことが、そう作用するわけ?”
“そう。世の中には、どうしても相容れないものがあるんだ”

 それから、少し間をおいてスオウは続けた。

“相容れないからといって、排除するわけには行かないだろう?”

 何だか、判ったようなそうでないような、変な気分だ。
 そうスオウに伝えると、それでいいよ、と答えが返ってきた。

“カイハクにも聞いてみるといい。面白い話が聞けるはずだよ”

 スオウがそう言ったとき、カイハクから通信が入った。

“任務完了。今から帰還する。サポートを頼む”
“了解。(Dx−101,Dy−2053,Dh−1186)より(ホーム)へ誘導する”

 スオウが返して、俺との通信を打ち切った。たぶん、モニター上のシグナルを追い始めたんだろう。
 スオウは、仕事になると目が真剣になる。カイハクも、普段は俺をからかったりするけど、仕事のときはまるで別人だ。
 やはり、すごい人物たちなのだ。
 何でも涼しい顔してこなしてしまうし、誰とでもうまくやれる。
 あの二人には、相容れないものなんて、ないように思われた。
 沈黙する通信機の前で、俺はため息をついた。
 悩んでいる自分を、小さく感じた。



Conflict[散文100のお題/30.携帯電話]

『お前、今何処にいるんだよ!』

 電話口でカイハクが怒鳴っている。

「今は、自宅近くの公園に」
『何をやっているんだ?』
「別に、ぼーっとしてるだけだよ」

 そう答えるとカイハクは黙り込んだ。
 無言だけど、イライラしてるのが判る。
 確かに、カイハクやスオウに内緒で長期休暇をとったのは悪いと思っている。思ってるけど、仕事はしたくなかった。
 というか……出来ない。
 人の精神を覗くという仕事に、納得出来ないんだ。本人の依頼でDiveする時はまだしも、敵対している人間の依頼の時は…。
 勿論、この仕事に誇りを持ってる。
 俺達にしか出来ない仕事だから。
 でも、それとこれとは別だ。
 俺が黙ったままでいると、カイハクが諦めたように口を開いた。

『お前さぁ、前にスオウと話したんだろ?』
「え? あ、ああ。うん、したよ」
『何て言ってた?』
「何を見過ごすかが大切だって」
『そうか…』

 そういうとカイハクはまた黙ってしまった。
 カイハクやスオウを困らせているようで辛い。
 二人が、俺のことを本当に心配してくれているのがわかるから、なおさら。やっぱり、俺がまだ子供ってことなんだろうか。
 でも…、大人になれば理解できるのかな? スオウの言うように、この仕事の矛盾を見過ごすことが出来るようになる? 諦めるだけじゃなくて?
 俺には、どうしても理解できない。
 納得していないことは出来ない。
 カイハクは、子供だと笑うんだろうけど。

『アサギ』

 カイハクが、静かに言った。

『お前が何を悩んでいるのか知らないけど、とことん悩んだらいいさ』
「……へ?」

 意外な言葉が受話器から流れてきて、変な言葉を返してしまった。

『悩むことも必要だろう。スオウには俺から巧く言っとくさ』
「あ、ありがとう」

 カイハクがこんなことを言うなんて!
 どうやら俺は、カイハク・グレイという人物を見誤っていたようだ。

『しかし……携帯電話を介してお前と会話することがあるとは思わなかったよ』
「いつもは通信機だからね」
『ああ。まったくだね』

 カイハクは少しおどけた口調でそう言って、それから真剣な声で続けた。

『結論を出すのはお前だ。でも俺は、これからもお前と通信機で会話したい』
「……ありがとう」

 電話を切ったあと、俺はぼんやりと空を眺めた。
 雲が、流れていく。
 あの雲のように、流れて行きたいとぼんやりと思った。
 そしたら、もう悩まなくてもいいのに。
 そう考えて、そう考えてしまう自分を、恥ずかしいと思った。



コードネーム[散文100のお題/56.ハルシオン]

 野に咲く雑草を見て、ふとコードネームについて考えた。
 “アサギ”というのはとある東方の国で使われたという色の名前で、黄色がかった青色を指す。“スオウ”は黒っぽい赤色で、“カイハク”は薄い灰色のことだ。他にも“スカーレット”や“アイボリー”、“コウバイ”など色の名前がついたDiverがいる。
 名前がつけられているのは、Diverだけじゃない。
 俺たちが仕事を終えて戻ってくる(ホーム)は、“ハルシオン”と呼ばれる。
 “ハルシオン”ではOperatorたちがDiverの活動を補助しており、仕事場(つまり、人間の意識の中)にDiverを送ったり、逆に回収したりする。現実空間からリンクされたメインステージ、俺たちの本拠地だ。

 “ハルシオン”という名前にも意味があると教えてくれたのは、スオウだった。
 西方の国に伝えられていた神話に登場する、波を抑え穏やかにする伝説の鳥の名前だという。


 荒ぶる波を静め、平穏をもたらす者。


 会社が設立された当初の目的は、それだったはずなのに。
 現在はどうだろうか。
 俺の悩みは贅沢な悩みなのかもしれない。けれども、仕事に誇りを求めて何が悪い。そう思う。


 揺れる春紫苑の花を見て、何だか救われた気持ちになった。
 (ホーム)につけられたコードネームは、まだ当初の志しを忘れていない証拠なのかもしれない。



Poker[散文100のお題/71.ポーカー(ポーカーフェイス)]

“よお、アサギ。職場復帰おめでとさん”

 にやにやと笑いながら、カイハクが通信を送ってきた。それでも、カイハクが俺の復帰を喜んでくれているのが判る。

“もう悩み事はいいのか?”
“うん。もう大丈夫だと思う。心配ありがとう”
“どういたしまして”
“あ、ところでスオウは?”
“あいつなら、いつも通り“ハルシオン”だよ”

 顔見せて安心させてやりなと、カイハクは手を振った。
 いつも心配してもらって…有り難いと思う。
 カイハクとの通信を切って、少し迷ってから“ハルシオン”に通信を送る。シグナルの音が聞こえて、それからOperatorの声が聞こえた。何度かやり取りをして、スオウに替わってもらう。

“アサギ、復帰したのかい!?”
“うん、今日から。心配かけてごめん”
“よかった。心配していたんだよ”
“…有り難う”

 俺が照れくさそうに言うと、スオウはにこにこと言葉を続けた。

“ねえ、アサギ。僕は、君とまた仕事が出来ることを嬉しく思うよ。僕だけでなく、カイハクもそうだと思う”
“僕もだよ!”
“それは良かった。悩み事らしいけど、もうふっきれた?”
“ふっきれたと言うよりも……悩んでも仕方ないって判ったんだ”
“どうして悩んでいたか、聞いてもいいかい?”
“その…僕は、君やカイハクのようになりたかったんだ”

 二人のように、仕事が出来るようになりたかった。
 何事にも動じないようになりたかった。
 人間として大きくなりたかった。
 それでも、俺にはそうなることはとても無理そうで。
 今でもなれるのならばなりたいと思うけれど、悩んでもこればかりは仕方ない。
 俺の言葉に、スオウは通信機の向こうで複雑な顔をした。

“アサギ。君の考えていることを僕達は知らないけど”
“何?”
“君はそのままでいいよ。ポーカーの出来ない人間のままでいい”
“どういうこと?”
“ポーカーが出来ると言うことはね、決して、良いことではないんだ”

 スオウはそれで通信を切ってしまった。
 どういう意味だろうか。
 俺は少し考え込んだが、すぐに頭を振ってその考えを振り払った。
 今は、今度の仕事の心配をしよう。
 そう思って、自分に割り当てられた部屋に向かいながら、俺はつくづく感じていた。
 またカイハクやスオウと仕事が出来る。
 俺はここに、カイハクやスオウのいるこの場所に戻ってきたんだ。
 俺は俺の仕事をしよう。
 彼らのように、仕事に誇りが持てるように。








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