早口言葉[散文100のお題/11.みぞれ]

みぞれ
みぞれ
みぞれ
みそれ

あ、「みそれ」って言っちゃった。
いけない、いけない。

みぞれ
みぞれ
みぞれが降るぞ それみぞれ
見それ それ見ろ それぞ「みぞれ」ぞ
みぞれ
みぞれ
みぞれ……

何だか「みぞれ」の意味が判らなくなってきた。



素朴な疑問[散文100のお題/12.喉]

彼女は
声が喉にひっかかっているようだ。
言いたいことはあるけれど
それを言葉に出せないようだ。

一方、僕は
喉がなめらかすぎるようだ。
言いたいことが次々と
言葉となって出すぎるようだ。


僕の喉と彼女の喉は
きっと、どこか違うのだろう。
人は性格の違いと言うけれど
絶対、喉が違うと思うんだ。
僕の喉と彼女の喉を、足して2で割れば きっと
僕も彼女も困ることはないと思うんだけど。
どうすれば僕らの喉を、足して2で割れるのか
僕には分からない。



二つの星空[散文100のお題/13.鏡]

 まるで鏡のようだと、彼は言った。
 満点の星空が写って、まるで鏡のように見えるのだと。


 微かな潮騒が耳に届く。
 夜の防波堤に一人、彼の言葉を噛み締めた。
 暗い海はどこまでも果てしなく。
 深く、星々を飲み込んでいる。


 本当に鏡のようだと、ぼんやりと考えた。


 何をしに来たのだろう。
 彼の生まれたこの島に立って、何を?
 ただ、彼の原点を知りたかった。
 彼の意思を受け継ぐために。
 何が彼をそうさせたのかを、知りたかった。


 海面に写った月が、カタチを変える。


 涙が流れた。
 彼はここに立っていたのだ。

 夜の防波堤に。

 空と海との間に。

 二つの星空の間に。

 そして。

 この宇宙の真ん中に、立っていた。



その日、世界は[散文100のお題/14.あなたのいなくなった日]

その日、世界は姿を変えた。
自然は隠れ。
禁忌は薄れ。
人は驕り。
闇は失せ。


その日、世界は姿を変えた。
人は恐怖を壊し。
人は恐怖を求め。
人は恐怖を作り。
人は恐怖を喜び。


その日、世界は姿を変えた。
妖怪と呼ばれる、偉大で超越的な何かよ。
あなたがいなくなった日、世界は姿を変えた。



遠い記憶[散文100のお題/16.心音]

鳴り響く太鼓の音を懐かしく思った。

打ち鳴らされる太鼓。

大太鼓も、締太鼓も、パーランクーも。

その音を聞くと、安心する。

遥か昔の記憶がよみがえる。

この世に生まれる前、母の胎内で聞いた心臓の音。



日常[散文100のお題/17.朝焼け]

 正直なところ、徹夜明けの目には、その朝焼けは鮮やか過ぎた。
 徹夜でRPGなんかするんじゃなかったぜ。
 岳人(たけひと)は心の中で毒づいた。
 そもそも、自分はこんなところに来る必要はなかったんだ。それを一也(かずや)のバカが……!
 岳人はやり切れない怒りをぶつけるように、足元の小石を蹴った。
 話は数時間前に遡る。

「岳人か? オレ、一也」
「お前が電話してくるなんて珍しいな。何だ?」
「いやー、お願いがあってさ」
「金は貸さないぞ」
「そうじゃなくて! ちょっと迎えに来てくれねえ?」
「何処に?」
「…坂下墓地」
「……お前、まさか」
「まさか?」
「しばらく会わない内に死んじまって、墓の下から電話してるわけじゃないよな?」
「変なこと考えるなよ」
「変か?」
「変だろ。常識的に考えてさぁ」
「常識的に考えれば、夜中の2時に電話してくるお前の方が変だ」
「…ごもっとも。スミマセン」
「という訳で、迎えには行かない」
「頼むよ。本当に足がなくて困るんだ」
「タクシーでも拾え」
「こんな時間にこんな場所で、タクシーが拾えるわけないだろ」
「それもそうだな」
「な、頼むよ。ちゃんとお礼はするからさ。友達だろ!?」
「うーん……」
「本当に頼むよ!」
「あー、わかったわかった」
「ありがとう!!!! 待ってるよ」

「なあ、出てきたついでに海に行こうぜ」
「海だぁ!? 誰が運転すると思ってんだよ!」
「岳人」
「てめえ、ここで降ろすぞ!」
「ごめんゴメン。でも、折角だから、さ」
「ったく」

 海に付いた頃には、朝日が昇り始めていた。はからずとも、日の出を拝むことが出来た二人である。
 一也が、ヘヘヘと笑った。
「何だよ?」
「いや、オレのおかげだろ」
「あん?」
「オレのおかげで、こんな景色が拝めたんじゃん?」
「まあな」
「これがお礼な」
「っ…てめ!」

 早朝の海に、二人の声が響いている。



意気込み[散文100のお題/22.皆無]

「可能性は皆無じゃないんだ」
 男が言った。
 そして付け加えた。

「ただし、限りなく低いけど」
「それで?」

 別の男が言った。

「それで、お前さんは夢を追い続けるつもりかね?」
「いや…」

 初めの男が答えた。

「俺は臆病者だから。達成できる可能性の低いことは追いかけない」
「そうかい」
「本当は……本当は追い続けていたいと思うけどね」
「何故、追いかけないのかね?」

 パイプをふかしながら、男が問う。
 問われた方は、しばらく考え込んだ。

「うん、やっぱり、俺が臆病だからだと思う」
「臆病」
「そう。臆病なんだ。失敗することが怖くて、追いかける勇気がない」

 男は自嘲気味に笑うと、相手はどうするのかを尋ねた。

「ふむ。私も追いかけはせんな」
「何故?」
「大人だからさ」
「大人」
「そう、大人だ。夢の叶わないことを知っている、大人」

 紫煙を吐き出して、男は笑った。
 男は、何かに疲れきった目を、していた。
 それから、パイプを別の男にかかげてみせて、吸うかと尋ねた。
 問われた男は首を横に振った。


 二人の男が話しをしていた。
 怯えた目をした男と、疲れた目をした男だった。
 男たちが話をしていた。
 夢という、彼らの目標の話をしていた。
 ただし、意気込みが皆無の、話だったけれど。



結末[散文100のお題/25.白煙]

立ち昇れ。

立ち昇れ。

どこまでも。



相棒と俺は、いい関係だった。
息はぴったりだったし、相棒は誰よりも俺の意思を酌んでくれた。
妻よりも相棒と過ごした時間の方が長いくらいだ。

相棒と俺は、いい関係だった。
俺も相棒も飛ぶことが大好きで、色んな空を相棒と飛んだ。
特に相棒は夜空を飛ぶと機嫌がよかった。

相棒と俺は、いい関係だった。
何度も相棒と死線を潜り抜けたし、互いの才能を引き出すことができた。
相棒がいたから俺はここまでやってこられた。

相棒と俺は、いい関係だった。
そう、いい関係だったんだ。
今では過去形で言わざるを得ない。


立ち昇る白煙を眺めながらぼんやりと考えた。
相棒は大好きな空へ昇っていくんだと。
2階級特進よりも勲章よりも、それが何よりの褒賞だろう。


白煙よ、立ち昇れ。
相棒の愛した空の遥かな高みまで。
相棒を連れて、立ち昇れ。


立ち昇れ。

立ち昇れ。

どこまでも。



鹿鳴館にて[散文100のお題/27.きみのてのひらにキス]

 フロアに流れる異国の旋律。
 軽やかなステップ。
 異国の装いをした男女。

 正直なところ、こういった場は苦手だ。家で本でも読んでいたほうがいい。
 しかし昨今の女性達は、新しいものが大好きで、出会いを求めるならこういう場がうってつけだ。
 そう父上はおっしゃるのだが…。
 やはり私は、こういう場は、どうも苦手なのだ。
 まだ商談の方がずっとマシだ。先程までは、そう思っていたのだが。

「あら、浩さま。お久しぶりですわね」
「美代さん」

 壁にもたれてぼんやりしていた私に、きみが話しかけた。

「どうなさったの? うかない顔をしていらっしゃるけど」
「どうも私は、こういった場は苦手でしてね」
「あら、綾小路家の跡取りともあろう方のお言葉とは思えませんわね」
「ははは。商談ならば得意ですが…」

 言葉を切って、笑みを作る。

「貴女の様な美しい女性と話をするのは、緊張しますよ」
「ま、お上手ですこと」
「とんでもない。本心ですよ。どうすれば信じてもらえます?」
「そうね、私をダンスに誘ってくださるかしら?」
「もちろん、喜んで」

 苦手だ、苦手だと呟いておきながら、我ながら現金だと思う。
 その辺りは、まあ、おいておくとして。

「1曲、お相手願えますか?」

 きみのてのひらにキスしよう。



荒野の巨人[散文100のお題/29.指輪]

<鯨の歌声亭>で吟遊詩人が吟じた歌


一人の男が旅をしていた。
“太陽の昇る穴”を探して旅をしていた。
幾千、幾万もの山を越え、谷を越えて、
たどり着いたのは 広大な荒野。


荒野の真ん中に壁がそびえたつ。
鉄のような、銅のような、金のような、不思議な材質で出来た壁。
男は壁に近づいた。
壁は男の背丈よりも高く、荒野の真ん中でぐるりと円を描く。
入り口はなく、傷もない。
熱くもなく、冷たくもない。
男は狂喜した。
ついに見つけたのだ。
これこそ“太陽の昇る穴”。
かくて男の旅は終わった。


そこより遥か東。
幾千、幾万もの山を越え、谷を越えて、
たどり着く 東の果て。
“太陽の昇る穴”の側に一人の巨人がいた。
巨人は悩んでいた。
無くしてしまった指輪の在り処を考えて、悩んでいた。
鉄のような、銅のような、金のような、不思議な材質で出来た指輪。
巨人は知らない。
指輪が荒野にあることを。
それを“太陽の昇る穴”と間違えた男がいることを。


男と、巨人と、巨人の指輪。
その後を知る者は、誰もいない。



昔の夢[散文100のお題/33.秘密基地]

「ね、ここは私達だけの場所よ」

 少女がこちらに向かって微笑んだ。
 腰までの長さの黒髪が揺れる。

「誰にも言っては駄目よ」

 念を押すように小首をかしげる。

「ね? 私達の秘密基地よ」

 可愛らしい笑顔。
 少女は着物の袖を揺らしながら、駆け出していく。

「ほら、早く。早く行きましょう、××××」

 少女が僕の名前を呼ぶ。
 僕も少女の名前を呼んで、慌てて後を追った。
 待ってください。
 僕は………



「夢見が悪い」

 呟きながら、私は寝台から起き上がった。
 顔を洗うよりも先に、新聞に目を通す。新聞は、昨夜のアカの取り締りを伝えている。
 相変わらず、物騒な世の中だ。まあ最近の情勢を考えれば、当然のことかもしれない。
 新聞を放り投げて、私は身支度を整えるために立ち上がった。

 それにしても、随分と懐かしい夢をみてしまった。
 父の仕事にくっついて、父の仕えるお屋敷まで来ていた頃の夢だ。
 父は65歳で亡くなるまで、一ノ倉家のおかかえ運転手だった。今は父の代わりに私が仕えている。
 夢の中の少女は、一ノ倉家の沙耶華(さやか)お嬢様だ。屋敷に同じ年頃の子供は私しかいなかったから、よくお嬢様のお相手をした。あの夢は、お嬢様の冒険に付き合って一ノ倉家の離れを発見したときの夢だ。
 彼女は目を輝かせて、ここは秘密基地だと言った。
 今にして考えてみれば、よく「秘密基地」という言葉を知っていたものだ。女性が使う言葉ではない。しかし、そんなところも快活な彼女らしいと思えた。
 彼女は、変わらずに…いや、以前よりも親密に私に接してくれる。
 それが何を示しているか、知らないわけではない。
 嬉しいし彼女の気持ちに応えたいと思う。しかし、私は運転手、一ノ倉家の使用人だ。お嬢様とは身分が違う。
 彼女と親しくすることは、許されない。
 そう自分に言い聞かせる。

 ああ、けれども。
 私は今も昔も、快活で可憐なあの少女のあとを追いかけているのだ。



父を想う[散文100のお題/34.平行線]

 父の遺産?
 父の残してくれたものは、たった1つ。いや、2つ。
 2本の平行線だ。
 螺旋が2本、平行に書かれた紙が、父が残してくれたものだ。
 父はトレジャーハンターで、幼い息子を日本に置き去りにして、世界中を駆け巡っていた。帰って来るのは年に2〜3回。その度に大量のお土産を買ってきた。
 お世話になっていた伯母さん達には評判が悪かったようだが、俺は父が大好きだった。珍しい土産物、そして何より、父が話してくれる冒険譚が楽しみだったのだ。父の話を聞くたびに、自分もそんな冒険がしたいと思った。早く大きくなって、父と共に宝探しの旅に出るのだと誓った。
 父も俺と冒険に出ることを楽しみにしていたのだろう。コンパスなどを買ってくれたし、地図の読み方も教えてくれた。
 しかし、俺が父と冒険に出ることはなかった。
 父は、すぐに死んでしまったからだ。
 俺は泣いた。これ以上ないって程、泣いた。
 冒険に連れて行ってくれると約束したじゃないかと、父の遺体に八つ当たりもした。
 悔しかったし、悲しかった。
 とにかく俺は父が大好きだったのだ。

 父の死後、俺は父と同じくトレジャーハンターになった。当時の父のように、不思議なものを求めて世界各地を回る生活を送っている。
 ところで父の残してくれた2本の平行線だが。
 南米の、ある部族の遺跡に行った時に、まったく同じものを見つけた。どうやら、すでに途絶えてしまったその部族の文字だったらしい。それが何を指しているのかは、まだ判っていない。
 何て父らしいのだろう。
 父が残したのは、お金ではない。ただのイラストだ。
 しかしそれは、ただのイラストではない。
 父は俺に、夢を残した。
 そんな父が、俺はやはり大好きなのだ。



Dissemblerの言い分[散文100のお題/48.僕はこの目で嘘をつく]

 猫を被るのは悪いこと?
 猫を被っていない人間はいないだろ?
 それは悪いことなのかな?

 にこにこ笑っていれば、状況はいいように転がっていく。わざわざ悪くなるようにする必要はないよね?
 単純で、簡単なこと。
 自分を偽るくらい、大したことじゃない。
 だって、皆そうでしょ?
 猫を被っていない人間なんていない。裏表のない人間はいないんだから。
 確かに、猫を被るってことは嘘をつくことで。でも、嘘も方便って言うでしょ? 猫被りもそれと同じで、状況をよくするための嘘なんだから。
 厭う必要はない。
 それでも、猫を被ることを嫌う人達がいるのは知ってる。
 そういう人達には、言わせておけばいいさ。自分だって同じなのに、自分は違うと思ってるんだ。
 他人に何と言われようと、僕は猫を被ることをやめない。自分を偽ることをやめない。
 にっこり笑ってやってやるさ。
 それは嘘をつき続けるってことだけど。
 いつか自分すらも騙せるんじゃないかって思うから。
 僕は猫を被る。



探し物[散文100のお題/50.禁断の果実]

少しお尋ねしますが。
最近、こんなものを見かけませんでしたか?
丸くて、白く輝いていて、両手に収まってしまうくらいの大きさの。
不思議な素材で出来たボールのようなものを。
近づくとよい香りがして、ついつい拾っていく方が多いのです。
私はソレを探しています。
どうしても見つけなければならないのです。
実は、こちらの手違いで別のものと混じっていたようなのです。
それがそのまま出荷されてしまいまして。
この辺りにあると思うのですが。
見つけなければ、帰ることができないのです。
どうでしょう?
見かけませんでしたか?
白く輝く、不思議な素材で出来た丸い物体なのです。
近づくとよい香りのする、両手に収まる大きさの物体です。
ソレを見つけなければ私は戻ることが出来ないのです。
もしもソレを見かけたら、お願いですからソレには触れないで下さい。
ソレはとてもよい香りがしますから、拾っていく方が多いのです。
拾ってしまいますと、手放すのが惜しくなってしまいます。
それで返していただけなくなるのです。
本当の話です。
手放すのが惜しくなって、ついにはソレに囚われてしまうのです。
アレは大層よいものですから。
香りも色にも輝きも、とても素晴らしいものですから。
人を魅了してやまないものですから。
ですから、どうかソレには触れないで下さい。
確かにソレを拾われる方は、ソレが必要な方です。
必要であるから、ソレと出会うのです。
しかし、私はアレがなければ戻ることが出来ません。
ですから、どうかソレを見つけたらそっとしておいて下さい。
どうかお願いします。
それでは、またお伺いいたします。
何か情報がございましたら、その時にお知らせください。
申し送れましたが、私は××××と申します。
とある組織のしがない構成員です。
それでは、また、後日。



エールを送る[散文100のお題/52.そのままの君]

そのままの君でいいよ、なんて僕は言わない。
君にはもっと自分を磨いて欲しいから。
そのままの君でいいよ、なんて僕は言わない。
君にはもっと強くなって欲しいから。

もっと頑張って。
もっと努力して。
君の目指す、「素晴らしい人間」にたどり着けばいい。

時には落ち込むこともあるだろう。
その時はここに来ればいい。
慰めはしないけれど、話は聞いてあげる。

そうして気が晴れたら。
もっと頑張って。
もっと努力して。
君の目指す、「素晴らしい人間」にたどり着けばいい。

だって、それが君だろう?
現状に満足しない。
常に上を目指している。

そんな君の、そのままの姿が好きだから。
そのままの君でいいよ、なんて僕は言わない。



回顧[散文100のお題/53.残酷な夢]

 随分と昔の話になるが、私の生徒にアウタという少年がいた。
 私は当時ある国で巡回教師をしており、週に3回、彼に数学と国語を教えていた。
 彼はとても利発な子で勉強の飲み込みも早かったから、苦労はしなかった。
 太陽のように笑う子だったと記憶している。
 母親もよく笑う気のいい女性で、あの家にはいつも笑いが絶えなかった。
 彼の父親は戦争で亡くなっていたから、彼の家族はそれで全員だ。兄弟の多いあの地方には珍しく、彼には兄弟も姉妹もいなかったのだ。
 だからなのか、彼は私を兄のように慕ってくれた。
 私もそれが心地よくて、彼を可愛がっていた。
 勉強の早く終わった時には(たまに勉強をサボって)、彼と色んな話をした。
 音楽の話や、小説の話。最近の出来事や、これからのこと。成長期の少年が興味のある話も、母親に見つからないようにこっそりとした。
 家の周辺を散歩することもあった。
 私の生まれた国とは違って、あの国の太陽は力強い。
 あの国では植物も動物も人間も、それに負けないくらい力強く生きている。
 私はそれを見るのが好きで、彼を伴ってよく散歩をした。
 彼は父親を尊敬していた。
 自分は将来、父のようになるのだと、目を輝かせて語っていた。
 彼の父親が軍人だと知ったのは、彼の元への巡回を終えてしばらくした頃だ。
 私は愕然とした。
 私は彼が戦争を憎んでいると思っていたのだ。
 彼の尊敬している父を奪ったのは、戦争だからだ。
 それでも彼は、軍人になることを望んだ。
 彼は戦争を憎まなかったのだろうか?
 それとも、憎んだ上で、軍人を目指すのだろうか。
 だとすれば、それは、なんと残酷な夢だろう!
 戦争を憎む者が、戦争を担う者になるのだから。
 あの強烈な日差しの下の力強い人々は、それすらも乗り越えられるほどに力強いのだろうか。
 彼と話をしたいと思ったが、戦況は悪化し、医大の院生だった私は赤十字に志願した。
 それからは、その日を生きるのに必死で。
 気づけば戦争は終結し、私は赤十字の中でも重要なポジションについていた。
 あれっきり彼とは会っていない。
 今こうして彼を思い出したのは、きっと。
 処理中の戦死者リストの軍人の項に、彼の名を見つけたからだ。



モラトリアム[散文100のお題/54.ピーターパンシンドローム]

 どこからともなく声が聞こえる。

“佐久耶(さくや)サマ…”

 私の名前? だれが呼んでいるの?

“佐久耶サマ、…の……か…です”

 うまく聞き取れないわ。もっとハッキリ喋って頂戴。

“しっか…………て…、佐久耶サマ”

 どうして名前だけは聞き取れるのかしら? 私に呼びかけているお前はだれ?

“佐久耶サマ”
“佐久耶サマ”

 やめて! 呼びかけないで。うるさいのよ。
 私はまだ眠っていたいの。

“…時………す、佐久耶さま”

 時間? 今日は休日だわ。何があるというの?

“佐久耶サマ”

 呼びかけないでったら。私は、まだ眠っていたいのよ。
 目覚めるなんて嫌よ。だって目覚めてしまったら、現実と向き合わなくちゃならないじゃない。お兄様だって、それでご苦労なさっているわ。

“そ…でも、……は目覚…な………佐久耶サマ”

 聞こえない。ハッキリと聞き取れないの。お前の声がもっときちんと聞き取れるようになったら、起きるわ。それまでは眠っていたいの。
 それにしてもお前はだれ? ウチの使用人じゃないでしょう? どうして私に呼びかけるの?
 とにかく、私はまだ眠っていたいの。呼びかけないで頂戴。

“そ…でも佐久耶サマ、貴方は……”



厄日[散文100のお題/55.人形]

今日は悪いことばかりだ。
朝起きて着替えようとしたら、箪笥の角に足の指をぶつけて。
朝食の玉子焼きには、卵の殻が混ざってた。
登校中に躓きかけたのを友達に見られたし。
数学の授業では、よりによって解らないところがあたる。
それだけでブルーなのに。
昼食では教室に乱入した猫に弁当をひっくり返されちまった。
もったいないので、ソレは猫にやった。
午後の授業中は特に何もなかったのだが。
下校時に、今朝こけかけた場所でこけた。
それどころか、たった今、車に水をはねられたところだ。
目の前のウィンドウでは、スーツを着たマネキンが微笑んでいる。
くそ!
なんだって人形に笑われなきゃいけないんだ。



愛の言葉[散文100のお題/59.唇から愛]

アイツが言った言葉。

『愛の言葉なら、いくらでも囁けるさ』

正直なところ、胡散臭いと思った。
でも、アイツがくれた言葉でこんなにも幸せになれるんだから。
そう思ってしまうあたり、アイツの作戦は成功しているのかも。
少し、悔しいかもしれない。
それでも、アイツの言葉は私を幸せにしてくれるから。
まあ、多少の胡散臭さは目を瞑ってあげようか。



現状報告[散文の100のお題/63.新しい世界]

こんにちは。
いかがお過ごしですか?
貴方はすでに、そこにいらっしゃるのですね。
私はまだ、そこへの道のりを歩いているところです。
長い道ですね。
苦しい道ですね。
暗い道ですね。
先も、今歩いている道さえも見えない、闇に包まれた道です。
この道を、貴方も歩いたのでしょうか。
私のように。
あるいは私よりも簡単に。
あるいは私よりも苦労して。
私はどれくらい進んだのでしょうか。
「思えば遠くに来たもんだ」と言う気はありませんが、随分と長らく歩いてきた気がします。
それでも、まだまだそこには辿り着けそうにありません。
貴方は、そこで立ち止まるつもりはないのですね。
進んでください。
私を待たなくても構いません。
いいえ、そもそも、貴方は私のことなど知らないでしょう。
大勢の内の一人ですから。
そこを目指す、星の数ほどの人間の中の、一人ですから。
進んでください。
私を…私達を待たなくても構いません。
道を、拓いて下さい。
私達はそれに続きましょう。
そうやって、私達は前に進むのです。
先人の後を追い、それに追いつこうと頑張るのです。
そうして、私達は辿り着くでしょう。
まだ見ぬ新しい世界に。
その時貴方は、遥か先に進んでいて。
私達はそれを追いかける。
そうやって進んでいく。
その道のりを、私は今、歩いているのです。



道筋[散文100のお題/64.気づかないふり]

そこに行けば、先に進めることを知っている。
でも、それは長く苦しい道で。
僕にはその道を歩く自信はなくて。


そこに行けば、先に進めることに気づいている。
でも、それは長く辛い道で。
僕にその道を歩く勇気はなくて。


だから僕は、その道を見つけない。
だから僕は、その道に気づかない。
そうやって、気づかないふりをしている自分が情けなくて。
僕は自分がくだらない人間に思える。


事実、僕はその道を進めない無能者で。
気づかないふりを続けている臆病者で。
そのくせ、その道を歩きたいと思う道化師で。


きっといつか、歩けるようになる日が来るだろう。

それまで、僕は気づかないふりを続ける。



ちょっとした理屈[散文のお題/68.じゃんけん]

不思議に思ったことはない?
じゃんけんって、すごい理屈だよね。
グーは石、チョキは鋏、パーは紙。

@石は鋏を刃こぼれさせるから、石の勝ち。
A鋏は紙を切ってしまうから、鋏の勝ち。
B紙は石を包んでしまうから、紙の勝ち。

@とA…石と鋏はいいんだ。
問題は、Bの石と紙の勝負について。
他のものは相手を破壊してしまえば勝ちなのに、紙だけは石を包んでしまえば勝ちだなんて。
なんか、おかしくない?
だって、石は負けた訳じゃないでしょ。
つつまれても、壊れたわけじゃないのに。
それとも、包まれて石の存在が無くなったということかな?
でも包まれても石の形はみえるのに?
何だか納得出来ないよ。
僕は石の……グーの味方さ。

断っておくけど、いつもグーを出して負けているからじゃないからね。



モノより思い出[散文100のお題/70.チェス]

 木彫りのチェス駒と盤のセットが、リサイクルショップで売られていた。いい雰囲気だったので、買って帰った。
 兄が、チェスが好きだったのだ。
 兄は9歳までイギリスに住む叔父に養子に出されていたので、そのせいかもしれない。
 一方私は、日本のとある田舎町で育ったので、どちらかといえば、将棋の方が馴染み深かった。
 それでもそのチェスセットは、私の目を引いた。
 買ったチェスセットを家に帰ってよく見てみると、良い品であるらしかった。
 木彫りの温かさと、細工の細かさが、古きよき時代を連想させた。それが嬉くて、その年の兄の誕生日に、私はそのチェスセットを兄へ贈った。兄も、そのチェスセットを喜んでくれた。
 兄はそれをとても大切にしてくれたらしい。
 とても感じの良い、温かみのあるチェスセットであった。
 その後戦争の混乱の中で、そのチェスセットは失われてしまったが、私は今でも思い出すことが出来る。
 そのチェス駒の手触りも。
 盤の光沢も。
 兄の嬉しそうな顔も。
 私が兄と暮らしていたのは、17歳の頃までだ。
 そんな昔の話である。



春の女王様[散文100のお題/75.春]

春の女王様は
薄桃色のドレスをまとゐ
若草色のショールをはおり
銀の玉座にお座りになる

柔和な眼差し
優雅な仕草
気品ある横顔

彼女の言葉は愛となり
彼女の微笑みは慈しみへ
さうして植物たちに降り注ぐ
だから植物たちは
こんなにも萌えてゐるのです
こんなにも命に溢れてゐるのです

春の女王様は
そよ風のマントをはおり
霞のベールをかぶり
銀の玉座にお座りになる

柔和な眼差しと
優雅な仕草と
気品ある横顔を持つ
貴く偉大な方



てんとう虫[散文100のお題/76.彼(或いは彼女)の車]

博物館の硝子の向こうのあの車は、彼の車だ。
彼が作った。
彼が…彼らが開発した。
家族への思いを込めて。
車を庶民の足にしたいと。

虫の名前の愛称で親しまれ、マイカーという言葉を作り出した車。

博物館の硝子の向こうのあの車は、彼の車だ。
彼が作った。
彼が…彼らが開発した。
家族への思いを込めて。
4人乗りの車を作りたいと。

テントウムシよ。
見よ!
今はこんなにも車が溢れている。
昔は、一戸建ての家と同じ値段だった車が。
それもこれも、お前の手柄だ。
そして、お前を作り出した彼らの。
テントウムシよ。
眠れ!
今はただ、安らかに。

お前の遺伝子は、確かに、受け継がれる。



I want…[散文100のお題/77.御伽噺]

御伽噺に求めるもの。


木々。
 そよ風。
  大空。
 翼。
水。
 優しさ。
  大地。
 力強さ。
炎。
 烈しさ。
  ちから。
 魔法。
剣と法律。
 妖精と精霊。
  着物とドレス、マント。
 体温。
心。
 旧世界。
  新世界。
   ファンタジー。



そして…夢。



歌姫[散文100のお題/78.うた]

歌姫がいました。
とある国のとある神殿に。

彼女が歌うは愛の言葉。
彼女が歌うは平和への願い。
彼女が歌うは明日への祈り。

彼女の言葉は歌となり。
彼女の歌は言葉となり。
流れていく。
伝わっていく。

この大陸の。
この空の下の。
すべての人間へ。



かささぎの橋[散文100のお題/79.たとえばこんな愛し方]

 ミユが好きなのは、ロウだ。
 ロウが好きなのは、ミユだ。
 そして、俺が好きなのも、ミユなのである。

「どうしよう」

 ミユが言った。酒のせいか、少し声が掠れている。

「私、ロウが好きなんだ」
「そう、それで?」

 俺はミユの杯に酒を注ぎながら、冷たく言った。
 そんなことを言われたって、俺はミユが好きなんだ。俺にどうしろっていうんだ。
 そう思うけれど、ミユはあまりにも真剣で、今にも泣きそうだ。

「好きで好きで、どうしようもないの」
「それは知ってるよ」
「ヨク…私、どうしたらいい?」

 問いかけに、息を呑んだ。
 どう答えればいい?
 俺はミユがどんなにロウのことが好きか、そしてロウがどれだけミユのことが好きか、知っている。知っているけれど、俺だってミユが好きで堪らないのだ。
 俺に何ができるだろう!
 ああ、ミユ、そんな顔をしないでくれ。俺の方が泣きそうだ。

「…逢いに行ったらいいんじゃないか」

 ミユは勢いよく顔を上げた。

「そんなことできない」
「何故?」
「だって…だって、迷惑に思われたら嫌だわ」

 ああ、可愛いミユ。そんな心配をしないでもいいんだ。ロウだって君の事が好きなのだから。

「大丈夫さ。何なら今から行ったらいい」
「でも…」
「大丈夫、俺が保証するよ。だから、ほら、今から行っておいで。すぐそこだから」

 ミユはそれでも暫く躊躇っていたが、やがて静かに顔を上げた。


 ベランダに出ると、ひんやりとした空気が俺を包んだ。
 視線を巡らせると、ロウの家の屋根が視界に入る。
 ミユはどうしただろうか。そう思って、慌てて思考を振り払った。考えても仕方ない。ミユはロウが好きで、ロウもミユが好きなのだ。
 涙を堪えて見上げた夜空。天を流れる川が見えて、昨日が七夕だったことを思い出した。


 烏鵲河を填めて、橋を成して以て織女を渡す


 かささぎの橋の役割なんて、随分間抜けな話じゃないか。
 ああ、でも、可愛いミユ。俺だって君が好きなんだ。例え、ロウのポジションにはなれなくても。



夏[散文100のお題/80.夏の海]

そこは、鮮やかな色彩に溢れていた。

緑の木々!
紅い花!
青い海!
青い空!
白い砂浜!
そして…色取り取りの水着(もちろんお姉さん達)!

カツヒコは、ため息を吐き出した。
手にしていた雑誌のページをめくる。
リゾート地の紹介ページの写真が、紙の向こうへと消えた。

夏は、まだ遠い。



忠誠[散文100のお題/81.王様]

 ジャン=ライサー将軍は、扉の前で立ち止まり、そして振り向いた。

「一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」

 そう、尋ねる。
 尋ねられた男は、怪訝そうな顔をして頷いた。

「あなたの、夢は何ですか?」
「夢?」
「ええ。あなたのこれからの目標です」
「…何故、そんなことを聞く?」

 ライサー将軍は肩をすくめて見せて、「ただの好奇心ですよ」と呟いた。
 男は少し考え込んだ。
 背もたれに深く体を預けて、腕を組む。そして、目を閉じた。
 将軍はその様子を静かに眺めた。

 広い部屋に、静寂が舞い降りる。

 やがて、男がポツリと言った。

「前進だな」
「と、おっしゃられますと?」
「私人としての私も、公人としての私も、目標は前進だ」

 将軍は、微かに口の端を持ち上げた。
 それでも視線だけは真面目に、豪華な椅子に腰掛ける男を見た。

「ジャン=ライサー将軍!」

 唐突に、男が将軍の名を呼んだ。
 呼ばれた将軍は、反射的に床に片膝をついた。

「私は父のような…先王のような立派な王になる。そしてこの国を豊かにする!」

 男は椅子から立ち上がって、こぶしを握り締めた。

「今はまだ立ち止まるべき時ではない。必要なのは、前へ進むこと! 第一歩を踏み出さねば、冒険は始まらない。歯車を回さなければ、歴史は紡がれない。私もこの国も、始まったばかりなのだ!!」

 力強く語る男に、将軍はますます笑みを深くした。
 顔を上げて、男を見やる。
 男は不敵な笑みを浮かべて力強く立っていた。
 将軍は剣を抜き、優雅に臣下の礼をしてみせた。そして…

「我が剣と忠誠を、歩き始めた、あなたとこの国へ」

 深く頭を垂れた。
 昨日「王」となったばかりの男へ向かって、深く頭を垂れた。



願望[散文100のお題/83.空白]

だから私は、それを欲するのだ。
暗く、冷たい世界なれば。
だから私は、それを求めるのだ。
狭く、小さい場所なれば。

懐に抱きし聖典を開きて
遠く、遥かに続く道を笑おう。

だから私は、それを欲するのだ。
暗く、冷たい世界なれば。
新たなる価値を築きうる、それを。
だから私は、それを求めるのだ。
狭く、小さな場所なれば。
広大なる深さを築きうる、それを。

懐に抱きし熱を握り締め
遠く、遥かに続く道を探そう。

だから私は、それを欲するのだ。
暗く、冷たい世界なれば。
だから私は、それを求めるのだ。
狭く、小さい場所なれば。



山小屋[散文100のお題/85.雪]

 今年も雪の季節がやってきた。
 師走とはよく言ったもので、あれはやったか、これはまだかと、忙しくて立ち止まる暇もない。もう少しゆっくりしてもいいのだが、私には少しでも早く仕事を終わらせたい理由がある。
 今年こそは、クリスマスだ何だと浮かれている世間から離れて、あの山へ戻るのだ。
 あの山の、あの小屋で、静かに暮らしたい。
 多少不便だろうと構わない。電気は、薪があればいい。
 そもそも、都会のような強い光の中では、星など見えないではないか。
 木々の体温が感じられないではないか。
 動物たちの息吹が聞こえないではないか。

 私は時折仕事の手を休めて、あの山での暮らしを想像する。
 しばらく行っていないが、山小屋の主は私を覚えているだろうか。
 仲良くなった小狸は、もう大人になっただろうか。
 気さくな山小屋の主と二人、囲炉裏を囲んで、昔話にふけるのもいい。
 その時、雪は静かに降っていて。
 全ての物音をかき消すように、深々と降っていて。
 そして私は、この世界に生きていることを実感するのだ。



親不孝[散文100のお題/87.親不孝]

 どうやら、俺は死んでしまったらしい。
 気づくと真っ暗なところにいて、神様と名乗る犬のような人間のような生き物がやってきた。
 で、そいつが俺に、俺は死んだんだと言った。
 正直なところ、実感がわかねえ。
 だってそうだろ?
 俺は何処も怪我していないし、頭の上に輪もねえ。
 まあ目の前の妙な生物は気になるところだが、最近の特殊メイクじゃあ、簡単なもんだ。そんなんで信じられるかってんだ。
 俺がそう悪態をついていると、神とやらが、信じていない俺に呆れて、特別に地上(?)を見せてくれた。
 暗闇の中にぼんやりと映像が浮かび上がる。
 葬式の場面だ。
 遺影には俺の顔が。
 げっ、マジで死んだのかよ。まあ今更未練なんてないけどな。
 と、お袋の顔が映し出された。
 泣いている。
 ドキリとした。
 いわゆる不良と呼ばれる人生を歩んでいたから、親不孝は一杯したと思う。  それでも、最大の親不孝は、親より先に死んじまったってことじゃないだろうか。
 俺は何だか耐えられなくなって、慌てて視線を逸らした。
 犬のような人間のような奇妙な生き物が、低く「そろそろ時間だ」と呟いた。



月下美人[散文100のお題/88.長距離電話]

 確か、ラジオで聞いたことだった。
 小学生向けの質問・相談コーナー、こんな質問をした子がいた。

『天国はどこにあるの?』

 女性か男性かは忘れたが、それに答えた先生は天才だった。

「先生にもよく分からないんだ。ごめんね。でも、君は外国に行って帰ってきた人と話をしたことはある?」

『うん』

「じゃあ、天国に行って帰ってきた人とは、話をしたことある?」

『ないよ』

「だとすると、外国よりも天国の方が、行った人が帰ってこれないくらいずっとずっと遠くにあるんじゃないかな」


 昨夜、庭の月下美人が咲いた。
 去年逝った娘が植えたものだ。毎年、花の時期には一晩中庭に座って、花が開くのを眺めていた。
 彼女がいなくなって、初めての花。
 白い花の前にそっと跪く。

”大丈夫だよ、お母さん”

 娘にそう言われたような気がした。
 丈夫に生んであげられなくてごめんねと、自分を責め続けていた私へ、外国よりもずっとずっと遠い場所にいる娘からのメッセージだろうか。



少年の日[散文100のお題/90.古い映画館]

 脇道に入って少し行ったところに、古い映画館がある。
 寂れた、でもまだ経営されている映画館だ。情緒溢れる、と言えば少し庇いすぎだろうか。とにかく、歴史を感じる建物なのだ。
 私の友人などは、趣があっていいと言う。私も、あの雰囲気は嫌いではない。
 レトロで、アンティークな、あの雰囲気が。
 まるで少年の頃に戻ったかのような気になることもある。
 (もっとも、その映画館で上映されているのは未成年者には見せられないようなものばかりだったが。)
 しかし、その映画館の前を通る度に、私は確かに、少年の頃の日々を思い出すのだ。
 今では感じることが出来なくなった、春の陽気や、夏の日差しや、秋の匂い、冬の寒さを、私はその映画館を通して、見る。もう一度、それを感じる。

 そんな映画館が、私の住む場所の近くに建っている。
 ぼんやりと、数年後、数十年後にも、あの映画館はそこに建っているのではないかと思う。
 古きよき時代や……少年の日の思い出を連れて。
 私は、それを切に願うのである。



ベクトル[散文100のお題/91.ベクトル]

 何か、とてつもなく強い力があるのだと思う。
 それは、ベクトルで表わせる。

 物体Aから物体Bへ向かう力。
 物体Aが何らかのエネルギーを得て、物体Bへ向かって移動しているとも言えるし。
 物体Bが何らかのエネルギーによって、物体Aを引き寄せているとも言える。
 さて、エネルギーは何処から来るか。
 それは、日常生活の、ふとした瞬間に起こる。
 物体Aと物体Bが何らかの…少なくとも物体Aには…魅力的な遭遇をした時。
 物体Aの内部から幾種類も呼び名を持つエネルギーが、放出され、物体Bへと向かう。
 もしくは、物体Aと物体Bの数度にわたる接触のすえ。
 数値では測定できぬほど微量なエネルギーが物体Aから放出され、物体Bへ向かう。

 …こう説明してしまえば、何とも不可解な現象である。
 だが、この現象、そしてこのエネルギーは確かに存在するのだ。
 例えば、俺がどうしようもなく彼女に惹かれること。

 俺の意識を伴って、彼女へと向かう、ベクトル。



I pray ...[散文100のお題/96....]

寝転んで空を見上げた。
蒼空に小さな雲が一つ二つ浮かんでいる。

右手を空にかざして、考えた。
答えはでない。

目を閉じて、自分に問いかけた。
やはり答えはでない。

答えを得るのを諦めて、ただ無心に空を見上げた。

さわさわと草がなる。
微かな波の音も、耳に届いた。

ふと、プレシャ経典の一節を思い出す。


『死者は、雲に乗りて揚がる。見よ、聞け、伝えよ。路は閉ざされぬ』


経典は更に続ける。


『大地の海原に抱かれし者は、心せよ』


どこかで鳥が鳴いた。
体を起こして、伸びをする。

そしてまた考える。
そして、やはり答えは出ない。

漠然と考える。

They can not obey anyone.
Because they are the only master their self.
Right then, I…?



やはり答えは出なかった。

涼やかな風が流れている。
ユアート湖は、今日も穏やかだ。



捕り物[散文100のお題/98.肯定の言葉が欲しかっただけ]

 女がいた。
 女は酷くうなだれていて、声も出ないように思われた。
 実はこの女、先日の札差(ふださし)の若旦那、斎藤松次郎殺しの下手人である。とある妓楼(ぎろう)の遊女で、名をお千代と言った。
 事件の全貌はこうである。

 松次郎はお千代のなじみで、お千代を落籍すと約束していた。
 だが松次郎は、斎藤家に奉公していた女中のおせんといい仲になってしまった。
 自然、お千代の下へ向かう足が鈍る。
 松次郎の行動を不審に思ったお千代は、尋ねてきた松次郎に、自分を落籍してくれるのだろうと問い詰めた。おそらくお千代は、風の噂でおせんのことを知っていた。しかし、それでも松次郎に否定してほしかったのだろう。
 だが松次郎はおせんを嫁に取るつもりだと言った。
 かっとなったお千代は、松次郎の脇差で松次郎を刺した。
 わき腹を深々と突き刺されて、松次郎は事切れた。
 店の者の知らせで田邑(たむら)の親分が駆けつけたとき、お千代は呆然とその場に座り込んでいた。
 お千代はその場でお縄となった。


 お千代の話を聞いて出てきた田邑の親分に、岡引きの吉次(よしじ)が駆け寄った。

「一体、どういう経緯で」

 親分はポツリと一言。

「肯定の言葉が欲しかっただけなのだろうさ」



また逢いましょう[散文100のお題/100.また逢いましょう]

こんにちは
こんにちは


ごきげんいかがですか
ごきげんいかがですか


お世話になりました
お世話になりました


ありがとう
ありがとう


ごきげんよう
ごきげんよう


また逢いましょう
また逢いましょう








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