奇妙な男+子犬=?
遅い。イライラしながら彼氏を待つ。
何だっていつも遅刻するんだろう。時間を指定しているのはあちらなのに。
どうせ彼は遅刻するのだから私も遅れて待ち合わせ場所に行けばいいとは思うけれど、やっぱり待ち合わせ時間の5分前には待ち合わせ場所に行ってしまう。これはもう性格的なものだから仕方ない。そもそも、彼が時間通りに来ればいいだけなのだ。
しばらく手持ち無沙汰で立っていたが、そのうちに耐えられなくなって携帯電話を取り出した。ウィンドウに表示された時計を見ると、もう20分も待たされている。
ため息を吐き出して、背後の石像にもたれかかった。
「痛っ」
その拍子に何かにぶつかったらしく、後頭部に走った痛みに思わず声をあげる。私の肩の高さ辺りまでの台の上に犬の石像が乗っているが、どうやらその犬の尻尾に頭が当たったらしい。
間抜けさに、ついつい笑いがこぼれる。それからハッとした。しまった。変な人だと思われていないだろうか。
さりげなく周囲を窺うと、向かいにある石像にもたれかかった男が目に入った。
ずいぶんと背高の男で、台の上の犬よりも高い位置に頭がある。派手な柄のシャツに、ショート丈のパンツ、かぶったハンチング帽からは短い金色の髪がこぼれている。パンツのポケットに無造作に両手を突っ込んで、澄ました様に人ごみに視線を彷徨わせている。
その男の隣で、小さな、本当に小さな茶色の子犬が、伏せの状態で上目遣いにこちらも目の前を通り過ぎる人間を見ていた。
のっぽの男と小さな子犬のチグハグな組み合わせとか、子犬の上目遣いで男を窺う様子とかが可愛らしい。思わず、ニヤニヤしてしまう。
ああ、なんて可愛らしい。あの男性が飼っている犬なのかな? まだ子犬のようだけど…あ、欠伸した。可愛い。
先ほどまで彼氏が来なくてイライラしていたのに、何だか気持ちが和む。
そうやってこのチグハグな組み合わせを観察していると、子犬の方と目が合った。
気のせいじゃない、と思う。子犬は私を見て、地面につけていた頭を持ち上げた。とりあえず、こちらも笑みを浮かべて軽く手を振ってみる。
ああ、これじゃ、本当に変な人だ。
子犬はちょっと首をかしげて、それから隣に立つ男の方へ顔を向けた。まるで「人が見てますよ」って男に伝えているみたい。すると背高の男が、こちらも話を聞くように子犬を見て、促されるように私を見た。
とっさに視線を逸らす。
まずい、さすがに失礼だっただろうか。じろじろ見てたのはこっちなんだし。
恐る恐る視線を男と子犬に戻す。
今度は男性の方と目が合った。男はにっこりと笑って、右手をポケットから出し、顔の横にまで持ち上げる。その右手に注目して欲しいのか、左手もポケットから出して右手を指差してみせた。
何だろう。何かあるのだろうか。
遠くてちょっと見づらいけれど、男の右手に目を凝らしてみる。右手の人さし指と親指が、何かを持っているみたいにわずかに開いている。
何も持っていないようだけど。
けれども男は、まるで小さなボールでも持っているかのように、右手を振って見せた。左手で右手のボールを掴む。けれども、右手もまだボールがあるように開いたまま。
あ、これ、よく手品であるボールが増えていくやつだ!
見覚えのある動きに、そう思い当たる。その手品の…パントマイム? 正直に言って、パントマイムじゃその手品のすごさが分からないんじゃないかと思うんだけど…。
私が反応に困っている間に男はしゃがみこんで、手品で増やした見えないボールを子犬の鼻先に近づけた。子犬はいつのまにか「伏せ」から「おすわり」になっている。
男が、ボールを真上に投げる仕草をした。その見えないボールを追いかけるように、子犬が頭を動かす。どうやら、ボールはしゃがんだ男の頭くらいの高さまで上がって、弓なりに落ちてきたようだ。地面に落ちる前に、子犬がぱっと飛び出してぱくりとボールを食べた。
男は嬉しそうに子犬の頭を撫でて、架空のボールをもう1つ増やしてみせる。それも放り投げた。けれど今度は目測を誤ったらしく、子犬は少し走って路上に出て地面に転がった(と思しき)ボールをくわえた。子犬は男の側に戻ってきて、男の手の上にボールを置く。少し男を非難するように首をかしげて、尻尾を1回ぱたりと振った。
男は謝るように頭をかいて、また子犬を撫でた。男の手は子犬の頭よりも大きくて、子犬の顔がすっぽり隠れてしまう。
男は気を取り直して、もう一度ボールを投げた。子犬は、今度は飛び上がって高い位置でボールをキャッチした。
すごい、すごい。子犬なのに、あんなに高くジャンプできるなんて。
子犬は「すごいでしょ」と自慢するように、胸を張っておすわりし私に向かって尻尾を振ってみせた。
実際にはないボールをキャッチしてみせるなんて、随分と訓練してある。男との息もぴったりだ。
ちいさく拍手を送る。
「…お前、何やってんだ?」
隣から声をかけられて吃驚した。いつのまにか彼氏が到着していたらしい。
「あの子犬がすごいのよ」
そう言いながら、彼氏に男と子犬を示してみせる。
けれども、一瞬視線を離した隙に、男はまた元のようにポケットに両手を突っ込んで、人ごみに視線を戻していた。隣の子犬も、伏せて上目遣いに周囲を窺っている。
「あの子犬って、あの茶色いやつ?」
「う、うん」
戸惑いながら、返事をする。彼氏はしばらく男と子犬を見て、首をかしげてみせた。
「ま、いいから、行こうぜ」
「あ、うん。…っていうか、アンタ遅刻のことをまず謝りなさいよ!」
彼氏に従って歩き出しながら、チラリと男と子犬にもう一度視線を送る。子犬の方が、上目遣いにこちらを見て、ワンと一声鳴いた。
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