私は行きたいのである。
私は行きたいのである。
けれども私の中に住んでいるヤツはどうにも臆病で、
“怖いから待て”というのだ。
“待てといわれたのだから”と私はまた律儀にヤツを待つのだが、
私の中に住むヤツはやっぱり“怖い怖い”と繰り返すばかりなのだ。
いつまで経っても“怖い”のだ。
そりゃあそうだろう。
私だって怖い。
けれども、私は行きたいのである。
それというのも、他人が私をそういう人物だと思っているからなのだ。
“他人のイメージになんぞ合わせてやる必要はない”と私の中のヤツは囁くが、
やっぱり私は行きたいのである。
なんせ私の中にいるヤツは何かにつけて臆病で、
少しでも慣れさせないと、
いつまでも“怖い怖い”と震えているからである。
私だって怖いのだから一緒に“怖い”と震えても良い気もするのだが、
やっぱり、それではいけない。
行きたくなくとも行かねばならぬのである。
私の中に住んでいるヤツが“怖い”というなら、私が行かねばならぬのである。
いや、そうではない。
私は行きたいのである。
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