散文100のお題/81-100


忠誠[散文100のお題/81.王様]


 ジャン=ライサー将軍は、扉の前で立ち止まり、そして振り向いた。

「一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」

 そう、尋ねる。
 尋ねられた男は、怪訝そうな顔をして頷いた。

「あなたの、夢は何ですか?」
「夢?」
「ええ。あなたのこれからの目標です」
「…何故、そんなことを聞く?」

 ライサー将軍は肩をすくめて見せて、「ただの好奇心ですよ」と呟いた。
 男は少し考え込んだ。
 背もたれに深く体を預けて、腕を組む。そして、目を閉じた。
 将軍はその様子を静かに眺めた。

 広い部屋に、静寂が舞い降りる。

 やがて、男がポツリと言った。

「前進だな」
「と、おっしゃられますと?」
「私人としての私も、公人としての私も、目標は前進だ」

 将軍は、微かに口の端を持ち上げた。
 それでも視線だけは真面目に、豪華な椅子に腰掛ける男を見た。

「ジャン=ライサー将軍!」

 唐突に、男が将軍の名を呼んだ。
 呼ばれた将軍は、反射的に床に片膝をついた。

「私は父のような…先王のような立派な王になる。そしてこの国を豊かにする!」

 男は椅子から立ち上がって、こぶしを握り締めた。

「今はまだ立ち止まるべき時ではない。必要なのは、前へ進むこと! 第一歩を踏み出さ ねば、冒険は始まらない。歯車を回さなければ、歴史は紡がれない。私もこの国も、始ま ったばかりなのだ!!」

 力強く語る男に、将軍はますます笑みを深くした。
 顔を上げて、男を見やる。
 男は不敵な笑みを浮かべて力強く立っていた。
 将軍は剣を抜き、優雅に臣下の礼をしてみせた。そして…

「我が剣と忠誠を、歩き始めた、あなたとこの国へ」

 深く頭を垂れた。
 昨日「王」となったばかりの男へ向かって、深く頭を垂れた。



幽霊[散文100のお題/82.生徒会室]


 今は使われていない生徒会室がある。
 その生徒会室の窓越しに、人影を見たという話が、最近広まっている。男の制服を着た 人影が、ぼんやりと窓際に佇んでいるのだという。

「どう、思う?」

 タツヤが聞いた。

「どうって言われてもね。見間違いじゃない?」
「でも、何人も見てるんだよ。僕は、不良あたりが溜まり場にしてるんだと思う」
「…お前らな」

 タツヤが呆れたように言った。
 ミチコが、心外だと言わんばかりに眉を顰める。

「でもねえ。幽霊だとは思わないしね」

 ユウヤがおっとりと言った。

「でも意外よね。ユウヤは、幽霊とか信じてると思ってたわ」
「そう?」
「俺は信じてるぞ」

 タツヤが言った。
 一瞬、ミチコとユウヤが物凄い顔で、タツヤを見た。

「え、ホントに信じてるの?」
「その冗談笑えないわよ」
「悪かったな」

 憮然としてタツヤが言う。

「いや、悪くはないけど」
「そうそう。信じるものは人それぞれだしね」
「でも…」

 ミチコが言った。


「人って、本当に見かけによらないわね」



願望[散文100のお題/83.空白]


だから私は、それを欲するのだ。
暗く、冷たい世界なれば。
だから私は、それを求めるのだ。
狭く、小さい場所なれば。

懐に抱きし聖典を開きて
遠く、遥かに続く道を笑おう。

だから私は、それを欲するのだ。
暗く、冷たい世界なれば。
新たなる価値を築きうる、それを。
だから私は、それを求めるのだ。
狭く、小さな場所なれば。
広大なる深さを築きうる、それを。

懐に抱きし熱を握り締め
遠く、遥かに続く道を探そう。

だから私は、それを欲するのだ。
暗く、冷たい世界なれば。
だから私は、それを求めるのだ。
狭く、小さい場所なれば。



ケーキ[散文100のお題/84.なかったことにして]


「タツヤ、遅いわね」

 紅茶を飲みながら、ミチコが呟いた。

「そうだね」

 ユウヤがおっとりと頷く。こちらの手にも、紅茶のカップが握られていた。

「遅刻にも程があるわ」
「うーん…部活の顧問からの呼び出しだから、複雑な話なんじゃない?」
「そう? それにしてもねえ」

 言いながらミチコは、ちらりと視線を動かした。
 その先には…ケーキの箱。

「早く食べてあげないと、ケーキに失礼だわ」
「もう僕らで食べちゃおうか?」

 ミチコが一瞬考え込んで、無言で頷いた。

「じゃ、切るよ」

 ユウヤが包丁を入れる。
 カップケーキが二つに分けられた。
 おいしそうにそれを頬張る二人。

「んー、やっぱり、前田のケーキはおいしいわ」
「ん。ケーキはやっぱり前田だよ」

 食べ終えて、紅茶を口に運びながらうっとりと言う。
 と、ミチコが思い出したように言った。


「ね、ケーキは最初からなかったことにして」



山小屋[散文100のお題/85.雪]


 今年も雪の季節がやってきた。
 師走とはよく言ったもので、あれはやったか、これはまだかと、忙しくて立ち止まる暇 もない。もう少しゆっくりしてもいいのだが、私には少しでも早く仕事を終わらせたい理 由がある。
 今年こそは、クリスマスだ何だと浮かれている世間から離れて、あの山へ戻るのだ。
 あの山の、あの小屋で、静かに暮らしたい。
 多少不便だろうと構わない。電気は、薪があればいい。
 そもそも、都会のような強い光の中では、星など見えないではないか。
 木々の体温が感じられないではないか。
 動物たちの息吹が聞こえないではないか。

 私は時折仕事の手を休めて、あの山での暮らしを想像する。
 しばらく行っていないが、山小屋の主は私を覚えているだろうか。
 仲良くなった小狸は、もう大人になっただろうか。
 気さくな山小屋の主と二人、囲炉裏を囲んで、昔話にふけるのもいい。
 その時、雪は静かに降っていて。
 全ての物音をかき消すように、深々と降っていて。
 そして私は、この世界に生きていることを実感するのだ。



Wesen[散文100のお題/86.殴り合いの喧嘩]


 ちょっとしたことから、殴り合いの喧嘩になった。
 結果は、両者ダウンで引き分け。おかげで今の俺は、怪我だらけだ。
 そんな俺を見て、団兄ちゃんが大笑いした。そりゃあもう、見ていて気持ちイイくらい の爆笑だ。もっとも、笑われたほうとしては、むっとしてしまうけど。

「青春だねえ、轟くん」
「何がだよ!」
「いやいや、殴り合いの喧嘩なんて、ガキの頃しか出来ないだろ」
「俺は、したくてしてる訳じゃないの!」
「そうか? でも、引き分けだろ? 結構、強いじゃねえか」

 そりゃあ負けるのは癪だからさ。
 団兄ちゃんくらい強ければ、喧嘩を売られることもないんだろうけど。
 そう言うと、団兄ちゃんは笑って

「確かに俺は強いけど、俺よりも巌の方が喧嘩は強いぞ」
「冗談!!」
「いやいや、本当だって。アイツさ、高校の頃は“北高の巌”って呼ばれてたんだぜ」

 信じられない!
 あの優しそうな巌さんが、そんな……。

「轟だから言うけどな。暴走族の特攻隊だったんだよ」
「嘘でしょ!?」
「残念ながら本当。でな、更に言うと…」

 団兄ちゃんがにやにやしながら、身を乗り出してくる。俺もつられて身を乗り出した。

「実は巌のやつ…」
「そこまで!」

 と、背後から声がして振り向くと、そこには巌さんの姿が。

「ちょっと、聞こえてたけどね」

 憮然とした顔で、巌さんは俺と団兄ちゃんの間に座った。

「団、轟くんに無いこと無いこと吹き込まないでよ」
「え、ってことは、今の冗談なの?」
「当たり前じゃないか。轟くんも、団の言うことを真に受けない」
「どういう意味だよ」

 団兄ちゃんが口を挟む。

「そのままの意味だよ。君は面白がって冗談を語るじゃないか」
「面白いことを、面白おかしく言って何が悪い!」
「真実じゃないから悪いんだよ!」

 二人の言い争いは続いている。
 実は巌さんが暴走族だったと聞いて、すぐに漫画のキャラにいそうだと思った俺は、ど ちらかと言うと団兄ちゃんよりの人間なのかもしれない。
 ああ、それにしても、殴られた顔が痛い。



親不孝[散文100のお題/87.親不孝]


 どうやら、俺は死んでしまったらしい。
 気づくと真っ暗なところにいて、神様と名乗る犬のような人間のような生き物がやって きた。
 で、そいつが俺に、俺は死んだんだと言った。
 正直なところ、実感がわかねえ。
 だってそうだろ?
 俺は何処も怪我していないし、頭の上に輪もねえ。
 まあ目の前の妙な生物は気になるところだが、最近の特殊メイクじゃあ、簡単なもんだ 。そんなんで信じられるかってんだ。
 俺がそう悪態をついていると、神とやらが、信じていない俺に呆れて、特別に地上(?) を見せてくれた。
 暗闇の中にぼんやりと映像が浮かび上がる。
 葬式の場面だ。
 遺影には俺の顔が。
 げっ、マジで死んだのかよ。まあ今更未練なんてないけどな。
 と、お袋の顔が映し出された。
 泣いている。
 ドキリとした。
 いわゆる不良と呼ばれる人生を歩んでいたから、親不孝は一杯したと思う。  それでも、最大の親不孝は、親より先に死んじまったってことじゃないだろうか。
 俺は何だか耐えられなくなって、慌てて視線を逸らした。
 犬のような人間のような奇妙な生き物が、低く「そろそろ時間だ」と呟いた。



月下美人[散文100のお題/88.長距離電話]


 確か、ラジオで聞いたことだった。
 小学生向けの質問・相談コーナー、こんな質問をした子がいた。

『天国はどこにあるの?』

 女性か男性かは忘れたが、それに答えた先生は天才だった。

「先生にもよく分からないんだ。ごめんね。でも、君は外国に行って帰ってきた人と話を したことはある?」

『うん』

「じゃあ、天国に行って帰ってきた人とは、話をしたことある?」

『ないよ』

「だとすると、外国よりも天国の方が、行った人が帰ってこれないくらいずっとずっと遠 くにあるんじゃないかな」


 昨夜、庭の月下美人が咲いた。
 去年逝った娘が植えたものだ。毎年、花の時期には一晩中庭に座って、花が開くのを眺 めていた。
 彼女がいなくなって、初めての花。
 白い花の前にそっと跪く。

”大丈夫だよ、お母さん”

 娘にそう言われたような気がした。
 丈夫に生んであげられなくてごめんねと、自分を責め続けていた私へ、外国よりもずっ とずっと遠い場所にいる娘からのメッセージだろうか。



好き嫌い[散文100のお題/89.ココア]


 あやかしのことで、最近判ったことがある。というよりも、気づいたこ とがある。
 あやかしは、どうやら、ココアが嫌いなようだ。
 いつもはチョロチョロとうざいくらいだが、俺がココアを飲んでいると、姿が見えなく なる。
 ココアのような甘いものは好きだと思ったんだが。それとも、生体的に受け付けないの だろうか。

 いや、待てよ。俺はあやかしにココアなんて飲ませたことはないぞ。
 …じゃあ、単に香りがダメなのか?
 というか、何て面倒臭い生き物なんだ、アイツは!

 面倒臭いというか、贅沢だ。そもそも、妖怪ってのは銀とか鉄とか香水の香りとかを嫌 うものじゃないのか?それなのにアイツは、鉄も銀も香水も平気ときている。なのに、コ コアは嫌いとは。

 アレか? ココアから、何かアイツが嫌いなオーラでも出ているのか?
 というか、そもそもアイツは姿を消すときに何処に行っているんだ? 天井裏か? そ れとも外に出ているのか? はたまた、特殊能力で姿を消しているのか? いや、それ以 前に、アイツに特殊能力なんてあるのか?

 …というか、何だって俺はアイツのココア嫌いについて、こんなに考え込んでいるんだ ?

 馬鹿馬鹿しい。
 アイツがココアを嫌いだろうが、どうだっていいじゃないか。
 アイツはココアが嫌いなんだよ。それだけだ。

 ……でも、アイツ、何故かチョコレートは好きなんだよな。



少年の日[散文100のお題/90.古い映画館]


 脇道に入って少し行ったところに、古い映画館がある。
 寂れた、でもまだ経営されている映画館だ。情緒溢れる、と言えば少し庇いすぎだろう か。とにかく、歴史を感じる建物なのだ。
 私の友人などは、趣があっていいと言う。私も、あの雰囲気は嫌いではない。
 レトロで、アンティークな、あの雰囲気が。
 まるで少年の頃に戻ったかのような気になることもある。
 (もっとも、その映画館で上映されているのは未成年者には見せられないようなものば かりだったが。)
 しかし、その映画館の前を通る度に、私は確かに、少年の頃の日々を思い出すのだ。
 今では感じることが出来なくなった、春の陽気や、夏の日差しや、秋の匂い、冬の寒さ を、私はその映画館を通して、見る。もう一度、それを感じる。

 そんな映画館が、私の住む場所の近くに建っている。
 ぼんやりと、数年後、数十年後にも、あの映画館はそこに建っているのではないかと思 う。
 古きよき時代や……少年の日の思い出を連れて。
 私は、それを切に願うのである。



ベクトル[散文100のお題/91.ベクトル]


 何か、とてつもなく強い力があるのだと思う。
 それは、ベクトルで表わせる。

 物体Aから物体Bへ向かう力。
 物体Aが何らかのエネルギーを得て、物体Bへ向かって移動しているとも言えるし。
 物体Bが何らかのエネルギーによって、物体Aを引き寄せているとも言える。
 さて、エネルギーは何処から来るか。
 それは、日常生活の、ふとした瞬間に起こる。
 物体Aと物体Bが何らかの…少なくとも物体Aには…魅力的な遭遇をした時。
 物体Aの内部から幾種類も呼び名を持つエネルギーが、放出され、物体Bへと向かう。
 もしくは、物体Aと物体Bの数度にわたる接触のすえ。
 数値では測定できぬほど微量なエネルギーが物体Aから放出され、物体Bへ向かう。

 …こう説明してしまえば、何とも不可解な現象である。
 だが、この現象、そしてこのエネルギーは確かに存在するのだ。
 例えば、俺がどうしようもなく彼女に惹かれること。

 俺の意識を伴って、彼女へと向かう、ベクトル。



対決[散文100のお題/92.ヨーグルト]


 今、私の目の前には、一つのヨーグルトがある。
 私はこれを、食べなければならない。いや、誰に強制されたわけではないのだが。強い て言えば、私自身が、私にこのヨーグルトを食べることを強制しているのだ。

 …急にこんなことを言われても、皆さんにはさっぱり訳が判らないだろう。
 実はこのヨーグルトは、私の祖母が私に作ってくれたものなのだ。
 私は今、東京で一人暮らしをしており、しばらく田舎には戻っていない。そこで私を心 配した祖母が、私を訪ねてきたのだ。
 そして、祖母がお土産にと持参してきたのが、このヨーグルトなのである。祖母は何で も自分で作ってしまう人で、このヨーグルトも、勿論、祖母の手作りだ。
 断っておくが、決してそれが煩わしいのではない!
 むしろ煩わしくないから、困っているのだ。
 祖母の気持ちは有り難い。
 だから、このヨーグルトを食べたいと思う。
 だが哀しいかな!
 私はヨーグルトが大嫌いなのだ!

 私の前には一つのヨーグルトがある。
 私はこれを食べなければならない。
 だが…だが!
 私の体はそれを拒否するのだ!

 私はそっと、そのヨーグルトを冷蔵庫にしまった。
 …ヨーグルトとの戦いは、数日を要しそうである。



Ins gegenteil umschlagen![散文100のお題/93.美貌]


「そこで、ものすごい美人とすれ違ったよ」

 巌さんが言った。

「…へえ」

 そう呟いた俺に、団兄ちゃんがにやにやと、小声で話しかける。

「お前、今、変なこと考えただろ」
「変なことって、どんなことさ!」
「ん〜、巌が言う美人って、どんなのだろう…とか」

 う…確かに考えた。

「だって、さ」

 あんなに綺麗な顔をしているんだったら、美人なんて見慣れてるんじゃないか?

「まあ、俺もアイツと知り合ったばかりの頃は気になったさ」

 団兄ちゃんが、にやにやとしたまま頷いた。
 そこへ巌さんが、にっこりと話しかける。

「二人で何の話?」
「いや、どれくらい美人だったのかなって思って…」
「どれくらいって…だから、ものすごい美人だよ」
「あ、えーと、そういうことじゃなくて…」

 助けを求めるように団兄ちゃんに視線をやると、とてつもなくにやにやした顔をしてい る。団兄ちゃんが、こういう表情をするときは大抵何かを企んでいるときだ。
 何かやらかす気だ!
 焦って巌さんの様子を窺った俺は、彼がちらりと団兄ちゃんを見やるのに気づいた。お もむろに口を開く。

「言っておくけど、僕の美的感覚は、一般的なものと変わらないようだよ」

 え、あ、そうなんだ。
 巌さんは、勝ち誇ったような、意味ありげな視線を団兄ちゃんに投げかけた。
 一方団兄ちゃんは、あからさまにむっとした表情をしている。

「なんで言ってしまうんだ、お前は」
「僕だってね、いつまでも君に遊ばれたりはしないよ。何年の付き合いだと思ってるんだ い?」

 …成る程。
 つまり、団兄ちゃんは俺と巌さんで遊ぼうと思っていたわけか。
 それにしても、巌さんの言う「普通の」美的感覚がどんなものなのかが気になる。



雪の庭[散文100のお題/94.粉雪]


 細かな雪が、さらさらと降っている。
 どうやら、冬は、その歩みを速めたようだ。

 白い息を吐き出しながら、男が一人縁側に立っていた。
 伊助である。
 綿入れを着込んで、それでも寒さに身を縮めながら、庭を眺めている。
 どこかしら、寂しそうな表情であった。
 実は、雪が降り始めた頃から良太郎が帰ってこないのである。
 良太郎とは、伊助が飼っている犬である。
 しかも、ただの犬ではない。
 人間の言葉を解し、話すのだ。
 まさに「物の怪のもの」である。
 だが伊助にとっては大切な存在なのだ。

「伊助さんよ」

 伊助の懐で声がした。
 伊助が、懐から一つの扇子を取り出す。

「風邪をひくよ。中に入ってはいかがかね?」

 その扇子が、先ほどと同じ声で言った。ものを話す扇子など、ただの扇子であるはずが ない。だが、伊助は驚いた様子もなく、言葉を返した。

「判っているよ。でも…」
「伊助さん」
「………判ってはいるけどね」

 伊助は少し困ったような笑みを浮かべて、頭を一つ振った。
 それから、扇子のすすめに従うように、離れに戻っていく。
 火鉢の側に腰を下ろして、伊助はため息をこぼした。

「大丈夫さ、若君」

 その背に、今度は天井から声がかけられた。
 少し高い、軋む様な声だ。

「良太郎は、我らの中でも強い力を持っているんだ。ナリはあんなんだけどね」
「そうそう。大方、どこかで道草を食っているのだろうよ」

 扇子も話をあわせる。
 伊助は、笑みを作ってみせた。

「大丈夫だよ、二人とも。心配しないで」

 人間であれば顔を見合わせたであろう、数瞬の間があって天井の声が答えた。

「…それならば」

 伊助は庭に視線を移した。
 雪は、相変わらず静かに降っている。
 その庭には、誰の姿もない。


 細かな雪が、さらさらと降っている。
 どうやら、冬は、その歩みを速めたようだ。



The devious stone2[散文100のお題/95.賽は投げられた]


「どういうことだ? 〈エメラルド〉」
『つまり、ターゲットが消えたのよ』
「具体的に頼む」
『〈ガーネット〉が見張っていたのだけど、その目の前で、忽然と消えたそうよ』
「ターゲットは発信機をつけていただろう。それは?」
『反応なし。今、〈ダイアモンド〉が必死になって探しているわ』
「…了解。すぐに戻る。動きがあれば、逐一知らせてくれ」
『了解』

 〈エメラルド〉との通信を切って、俺は立ち上がった。
 襟元を調え、煙草を銜える。細く巻いた傘を手に、歩き始めた。
 今回の仕事は、依頼ではない。いわば、腕試しであり、訓練でもあり、暇つぶしのゲー ムでもある。ただし、複数の団体合同の、だ。
 ターゲットは某有名ドリンク・メーカーの社長令嬢が身につけている、黒真珠のネック レス。そのターゲットを獲得するのが、今回の訓練内容である。
 訓練とは言え、複数の同業者が参加するのだから、当然意地の張り合いになる。ターゲ ットを訓練終了時間に所持していた団体が勝者…というのが、暗黙のルールだ。
 一昨年の勝者は〈A.D.Q〉、その前は〈羞華閉月〉、そして去年は俺たち〈The devious stones〉。
 連勝が懸かっている。
 〈ガーネット〉が見失ったということは、他の団体が動き出したということだろう。
 この訓練、嫌いではないが、どうにも騒がしくていけない。
 お茶の一杯も満足に飲めないとは。

『〈ラピスラズリ〉』
「どうした?」
『発見したわ。ターゲット喪失地点より北に1キロ。移動中よ』
「そうか。目を離すなよ」
『出ましょうか?』
「いい。今は、な。終了時間が近づくまで、好きにさせればいい」
『了解』

 通信機の向こうの〈エメラルド〉の声は楽しそうだった。
 まあ、俺もそうだが。
 もともと、そういうことが好きで集まってきた集団だ。
 大丈夫、今回の仕事も問題なく終わるだろう。
 予感に唇の端を持ち上げた。
 賽は投げられた。
 さて、いざ戦場へ―――――。



I pray ...[散文100のお題/96....]


寝転んで空を見上げた。
蒼空に小さな雲が一つ二つ浮かんでいる。

右手を空にかざして、考えた。
答えはでない。

目を閉じて、自分に問いかけた。
やはり答えはでない。

答えを得るのを諦めて、ただ無心に空を見上げた。

さわさわと草がなる。
微かな波の音も、耳に届いた。

ふと、プレシャ経典の一節を思い出す。


『死者は、雲に乗りて揚がる。見よ、聞け、伝えよ。路は閉ざされぬ』


経典は更に続ける。


『大地の海原に抱かれし者は、心せよ』


どこかで鳥が鳴いた。
体を起こして、伸びをする。

そしてまた考える。
そして、やはり答えは出ない。

漠然と考える。

They can not obey anyone.
Because they are the only master their self.
Right then, I…?



やはり答えは出なかった。

涼やかな風が流れている。
ユアート湖は、今日も穏やかだ。



対決後日談[散文100のお題/97.うそ]


田舎の母から電話があった。
『元気にしていた?』というお決まりの会話から始まって、近況報告。
それから、祖母の話になった。

『おばあちゃん、ヨーグルトを持っていったんでしょ』
「うん。持ってきてた」
『おいしかった?』
「おいしかったよ。おばあちゃんに、お礼言っておいてね」

そうして電話を切った。
ため息を一つ、深くつく。
本当のところを言うと、ヨーグルトはまだ冷蔵庫の中にある。

……ヨーグルトとの対決は、私の敗北に終わりそうだ。



捕り物[散文100のお題/98.肯定の言葉が欲しかっただけ]


 女がいた。
 女は酷くうなだれていて、声も出ないように思われた。
 実はこの女、先日の札差(ふださし)の若旦那、斎藤松次郎殺しの下手人である。とあ る妓楼(ぎろう)の遊女で、名をお千代と言った。
 事件の全貌はこうである。

 松次郎はお千代のなじみで、お千代を落籍すと約束していた。
 だが松次郎は、斎藤家に奉公していた女中のおせんといい仲になってしまった。
 自然、お千代の下へ向かう足が鈍る。
 松次郎の行動を不審に思ったお千代は、尋ねてきた松次郎に、自分を落籍してくれるの だろうと問い詰めた。おそらくお千代は、風の噂でおせんのことを知っていた。しかし、 それでも松次郎に否定してほしかったのだろう。
 だが松次郎はおせんを嫁に取るつもりだと言った。
 かっとなったお千代は、松次郎の脇差で松次郎を刺した。
 わき腹を深々と突き刺されて、松次郎は事切れた。
 店の者の知らせで田邑(たむら)の親分が駆けつけたとき、お千代は呆然とその場に座 り込んでいた。
 お千代はその場でお縄となった。


 お千代の話を聞いて出てきた田邑の親分に、岡引きの吉次(よしじ)が駆け寄った。

「一体、どういう経緯で」

 親分はポツリと一言。

「肯定の言葉が欲しかっただけなのだろうさ」



冬の庭[散文100のお題/99.おかえりなさい]


 雪が深くなってきた。
 本格的な冬がやってきたのだろう。
 縁側に、二人の男が腰掛けて、茶をすすっていた。伊助と佐吉である。
 二人とも、厚手の綿入れを羽織っている。
 お茶請けは、伊助の好物である田邑屋の饅頭だ。
 ふと、佐吉が口を開いた。

「寒くないのか」
「大丈夫だよ。佐吉こそ、寒くはないのかい」

 鍛え方が違うと言い放って、佐吉はぎこちなく茶をすすった。
 実は最近の伊助の様子を心配して佐吉はやってきたのだが、何と切り出したものか困っ ていたのだ。
 結局、何も言わずに、饅頭を口に放り込んだ。
 横目で伊助の様子を窺う。
 伊助は、茶を飲んで、饅頭を口にして、時折、庭に視線をやる。
 何かを探しているようであった。
 ふと、がさがさと庭の木々が鳴り、伊助がはっとしたようにそちらを見た。
 風が、通り過ぎていった。
 落胆したように、伊助は視線を落とす。
 それを何度か繰り返して、ついに居た堪れなくなった佐吉が、言葉をかけた。

「何か探しているのか」
「いや、…良太郎がいなくなってね」

 伊助は弱弱しく微笑む。

「帰ってこないのか」
「無事だといいのだけれど」
「…この寒さだからなぁ」
「うん」

 伊助は困ったように小首を傾げた。


 佐吉が帰ったあと、伊助はしばらく庭を眺めていたが、やがて離れに戻った。
 離れの火鉢の側に、犬がいた。

「雪見としゃれ込むのは構わないが、寒くは無いのか」

 その犬が喋る。
 言葉を話す犬など、いようはずがない。けれども、伊助は呆けた顔でその犬を見つめて いるだけだ。

「…良太郎?」
「なんだ、しばらく会わないうちに忘れたのか」

 憮然とした雰囲気を、良太郎は作った。
 伊助の顔が、驚きの表情から憮然とした表情、それから嬉しそうな笑顔になって、

「忘れるわけないじゃないか。お帰り、良太郎」



また逢いましょう[散文100のお題/100.また逢いましょう]


こんにちは
こんにちは


ごきげんいかがですか
ごきげんいかがですか


お世話になりました
お世話になりました


ありがとう
ありがとう


ごきげんよう
ごきげんよう


また逢いましょう
また逢いましょう







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