散文100のお題/61-80


ユウヤのある1日[散文100のお題/61.ビタミンC]


 ユウヤが立っている。
 困ったように、何かを見比べていた。
 CDショップのオムニバスコーナーだ。
 2枚のCDを、しきりにひっくり返したりして見比べている。
 どうやら、悩んでいるらしい。
 しばらくそうしていたが、やがて決心したように一枚を棚に戻した。
 もう一枚を持って、レジに向かう。
 金を払い、商品を受け取る。
 店員の、いかにも作ったような「ありがとうございましたー」という高い声を背に店を 出る。
 購入したCDを鞄にいれ、一度嬉しそうに笑った。
 家に向かう。
 家に着いた。
 ドアのカギを開け、小声で「ただいま」と言う。家には誰もいないらしい。それを気に した風もなく、部屋へと向かう。
 鞄を下ろして、制服を脱ぐ。
 それから、早速CDを開いた。
 プレイヤーにCDをセットして、すぐには再生せず、台所へ向かった。
 紅茶を入れて部屋に戻ってくる。
 それからソファに腰掛けて、リモコンでCDを再生した。
 静かな音が流れ出す。
 ピアノの旋律、弦楽器の独奏、管楽器の重奏。
 ユウヤは満足したように頷いた。
 CDケースに手を伸ばす。
 ジャケットには、黄色を基調とした、生き物なのか物なのか判らない絵が載っている。
 そしてこう書かれていた。

「ビタミンC 〜肌年齢を取り戻そう!〜 By ヴィタミンC」



Angst[散文100おお題/62.優しい体温]


 布団の中で、昔のことを思い出した。
 俺がまだ小さかった頃のこと。
 団兄ちゃんと出会って間もない頃、団兄ちゃんのところに入り浸っていた。
 俺も団兄ちゃんも一人っ子で。団兄ちゃんを兄のように慕っていたし、弟のように可愛 がって貰った。
 団兄ちゃんは、俺の自慢で、大切な兄さんだった。
 遊んでもらって、宿題をみてもらって、勉強の邪魔をして、一緒に風呂に入って、一緒 に寝た。
 本当に迷惑かけっぱなしだよな。
 寝るときくらい、家に戻れってカンジだし。
 でも、気持ちよかったんだ。
 団兄ちゃんの体温が心地よくて、ぐっすり眠れた。
 守られているんだと安心できた。
 大きな手と、優しい体温。
 それが俺の団兄ちゃん。

 おばさん達は、今頃何をしてるだろう?
 巌さんは?
 俺の両親だって、気が気じゃないだろう。
 こんなにも沢山の人に想われてる。
 団兄ちゃんは死んではいけない。
 団兄ちゃんは、今頃どこにいるんだろう?
 まさか三途の川辺りをうろうろしてたりしないよな。
 いや、団兄ちゃんのことだから、意識が戻ってすぐに「花畑の向こうに河があってさー 」などと言いかねない。
 そんな、団兄ちゃんの話が聞きたいと思った。
 笑いながら話がしたいと思った。
 団兄ちゃん。
 団兄ちゃん。
 団兄ちゃん。
 背中が寂しく感じて、小さい頃の団兄ちゃんの体温を思い出した。



現状報告[散文の100のお題/63.新しい世界]


こんにちは。
いかがお過ごしですか?
貴方はすでに、そこにいらっしゃるのですね。
私はまだ、そこへの道のりを歩いているところです。
長い道ですね。
苦しい道ですね。
暗い道ですね。
先も、今歩いている道さえも見えない、闇に包まれた道です。
この道を、貴方も歩いたのでしょうか。
私のように。
あるいは私よりも簡単に。
あるいは私よりも苦労して。
私はどれくらい進んだのでしょうか。
「思えば遠くに来たもんだ」と言う気はありませんが、随分と長らく歩いてきた気がしま す。
それでも、まだまだそこには辿り着けそうにありません。
貴方は、そこで立ち止まるつもりはないのですね。
進んでください。
私を待たなくても構いません。
いいえ、そもそも、貴方は私のことなど知らないでしょう。
大勢の内の一人ですから。
そこを目指す、星の数ほどの人間の中の、一人ですから。
進んでください。
私を…私達を待たなくても構いません。
道を、拓いて下さい。
私達はそれに続きましょう。
そうやって、私達は前に進むのです。
先人の後を追い、それに追いつこうと頑張るのです。
そうして、私達は辿り着くでしょう。
まだ見ぬ新しい世界に。
その時貴方は、遥か先に進んでいて。
私達はそれを追いかける。
そうやって進んでいく。
その道のりを、私は今、歩いているのです。



道筋[散文100のお題/64.気づかないふり]


そこに行けば、先に進めることを知っている。
でも、それは長く苦しい道で。
僕にはその道を歩く自信はなくて。


そこに行けば、先に進めることに気づいている。
でも、それは長く辛い道で。
僕にその道を歩く勇気はなくて。


だから僕は、その道を見つけない。
だから僕は、その道に気づかない。
そうやって、気づかないふりをしている自分が情けなくて。
僕は自分がくだらない人間に思える。


事実、僕はその道を進めない無能者で。
気づかないふりを続けている臆病者で。
そのくせ、その道を歩きたいと思う道化師で。


きっといつか、歩けるようになる日が来るだろう。

それまで、僕は気づかないふりを続ける。



Zorn[散文100のお題/65.回復する傷]


 今度の新商品のテーマは「回復する傷」。
 企画書を読みながら、ため息をついた。

「巌、ため息なんてついちゃって。何かあったのか?」

 後ろから、会社の先輩が話しかけてくる。

「いえ、少し。…あの、この企画ですけど」
「ん? ああ、『回復する傷』プロジェクトね。これがどうした?」
「これは『回復する傷』ですけど、回復しない傷ってあるんですか?」
「んー…治りきらなかった傷とかかな」

 それがどうした、と先輩が尋ねてくるのに、何でもないと笑顔を返した。
 回復する傷。
 回復しない傷。
 団の傷はどちらの傷だろう。
 いや、肉体の傷は回復しているんだ。問題は、脳。
 彼の肉体は峠を越えた。
 ただ、意識が…彼の精神が帰ってこない。
 昨夜の団のお母さんの顔を思い出した。
 明るくて、よく「この母にしてこの子あり」と言われていた人だけれど、疲れきった、 暗い顔をしていた。
 団、何をしているんだ。
 彼女にあんな顔をさせるなんて、君らしくもないじゃないか。
 それに、僕や轟くんをこんなにも待たせるなんて。
 どこで道に迷ってる?
 君がまっすぐに道を進まないのはいつものことだけど。こういう時はまっすぐに戻って きてくれよ。
 僕達を安心させてくれ。
 団。
 僕は…僕達は、君の帰りを心待ちにしているから。
 早く、寄り道せずに帰って来い。



発見[散文100のお題/66.ミルクティー]


 俺はミルクティーが好きで、よく飲む。
 最近気づいたのだが、実は、あやかしもミルクティーを好きなようだ。
 とはいえ、飲むわけではない。そもそもコイツは、ものを食べないのだ。どこか俺の知 らないところで食べているのかもしれないが。
 話を戻そう。
 あやかしは俺が紅茶を入れているときに必ず寄ってくる。
 興味津々といったふうに俺の手元を覗き込んで、ミルクは、と尋ねる。
 ミルクを入れると、その様子を面白そうに見ている。
 どうやら、ミルクを入れるときにミルクが白い渦を描くのを見るのが好きなようだ。

 子供がコーヒーのCMに反応するのと同じか。

 ミルクを入れずにプレーンで飲むときもあるが、そのときは、近づいて損したと言わん ばかりの態度で去ってゆく。

 何でお前は、そんなに態度がでかいんだ。

 いや、態度がでかいのは初めからだが。なんせ初対面で寝床を要求したやつだからな。
 とにかく、そのミルクティーを飲めよなーというような顔をやめろ。
 いいじゃないか。
 たまにはプレーンで飲みたいんだ。



明け方の庭[散文100のお題/67.夢見心地]


 明けの明星が、その輝きを失い始めた。
 お天道様が昇ろうとしている。
 新しい一日の始まりだ。


 男が一人縁側に腰掛けている。商人風の、よい身なりをした男だ。
 男は菓子鉢を片手に、饅頭を口にしている。一口食べてはお茶を飲み、また一口食べて はお茶を飲む。
 幸せそうだ。
 と、風もないのに庭の草木がざざーっと揺れて、一匹の犬が現れた。

「幸せそうだな、伊助」

 犬が、人間の言葉を話した。
 伊助と呼ばれた男はそれに驚くでもなく、のんびりと言葉を返した。

「まあね。昨日、佐吉が持ってきてくれたんだ。田邑屋の饅頭だよ」

 大好物なんだ、と嬉しそうに伊助は笑う。

「だからと言って、こんな時間にか」
「明日…もう今日だけど食べようと思ったんだけどね、我慢できなくて」

 伊助はくつくつと笑いながら、饅頭をどんどん平らげていく。
 不思議と、お茶碗の中のお茶はいくら飲んでも減らないようだ。

「良太郎も食べるかい」

 伊助が犬に向かって尋ねるが、良太郎は首を振った。

「菓子を我慢できなかったとは、いい大人が恥ずかしいな」
「おや、お前さん達にもそんな概念があるのかい」

 からかうように、伊助は言う。それから声を落として

「実は…饅頭を誰かに食べられる夢を見てね。いても立ってもいられなくなったのさ」

 良太郎がため息をついた。

「まあ、お前が幸せなら、我は構いやしないが」
「そりゃあ幸せさ! まるで夢の中にいるようだよ」

 伊助がにこにこと言った。


 明け方の庭の中には、男が一人と犬が一匹。
 明けの明星が、その輝きを失い始めた。
 お天道様が昇ろうとしている。
 新しい一日の始まりだ。



ちょっとした理屈[散文のお題/68.じゃんけん]


不思議に思ったことはない?
じゃんけんって、すごい理屈だよね。
グーは石、チョキは鋏、パーは紙。

@石は鋏を刃こぼれさせるから、石の勝ち。
A鋏は紙を切ってしまうから、鋏の勝ち。
B紙は石を包んでしまうから、紙の勝ち。

@とA…石と鋏はいいんだ。
問題は、Bの石と紙の勝負について。
他のものは相手を破壊してしまえば勝ちなのに、紙だけは石を包んでしまえば勝ちだなん て。
なんか、おかしくない?
だって、石は負けた訳じゃないでしょ。
つつまれても、壊れたわけじゃないのに。
それとも、包まれて石の存在が無くなったということかな?
でも包まれても石の形はみえるのに?
何だか納得出来ないよ。
僕は石の……グーの味方さ。

断っておくけど、いつもグーを出して負けているからじゃないからね。



タツヤのある一時[散文100のお題/69.サンドイッチ]


 タツヤが立っていた。
 困ったように何かを見比べている。
 とあるコンビニの、パンやおにぎりが置いてある棚の前だ。
 おにぎりとサンドイッチを、しきりに見比べている。
 どうやら、迷っているらしい。
 財布を取り出して所持金を確認し、決心したように顔を上げた。
 おにぎりを棚に戻し、サンドイッチを持ってレジへ向かう。
 お金を払って商品を受け取る。
 バイトなのか、やる気のなさそうな店員の声を背に店を出た。
 袋の中のサンドイッチを見て、嬉しそうにニヤリと笑う。

 公園に向かう。
 公園に着いた。
 公園では子供たちが無邪気に遊んでいる。
 タツヤは誰もいないベンチを見つけて、腰を下ろした。
 袋の中からサンドイッチを取り出す。
 がさがさと包装を外す。
 包装は丸めて袋の中に入れた。
 サンドイッチはカツサンドらしい。
 好物なのか、嬉しそうにタツヤは笑った。
 それからサンドイッチを口へ運ぶ。
 と……

 ガッ

 と嫌な音がして、脛に激痛が走った。
 子供の三輪車が激突したのだ。
 弾みでサンドイッチを落としてしまう。
 固まってしまうタツヤ。
 半泣きになって謝る子供に、大丈夫さと手を振った。

 その笑顔はどこか虚ろなものだった。



モノより思い出[散文100のお題/70.チェス]


 木彫りのチェス駒と盤のセットが、リサイクルショップで売られていた 。いい雰囲気だったので、買って帰った。
 兄が、チェスが好きだったのだ。
 兄は9歳までイギリスに住む叔父に養子に出されていたので、そのせいかもしれない。
 一方私は、日本のとある田舎町で育ったので、どちらかといえば、将棋の方が馴染み深 かった。
 それでもそのチェスセットは、私の目を引いた。
 買ったチェスセットを家に帰ってよく見てみると、良い品であるらしかった。
 木彫りの温かさと、細工の細かさが、古きよき時代を連想させた。それが嬉くて、その 年の兄の誕生日に、私はそのチェスセットを兄へ贈った。兄も、そのチェスセットを喜ん でくれた。
 兄はそれをとても大切にしてくれたらしい。
 とても感じの良い、温かみのあるチェスセットであった。
 その後戦争の混乱の中で、そのチェスセットは失われてしまったが、私は今でも思い出 すことが出来る。
 そのチェス駒の手触りも。
 盤の光沢も。
 兄の嬉しそうな顔も。
 私が兄と暮らしていたのは、17歳の頃までだ。
 そんな昔の話である。



Poker[散文100のお題/71.ポーカー(ポーカーフェイス)]


“よお、アサギ。職場復帰おめでとさん”

 にやにやと笑いながら、カイハクが通信を送ってきた。それでも、カイハクが俺の復帰 を喜んでくれているのが判る。

“もう悩み事はいいのか?”
“うん。もう大丈夫だと思う。心配ありがとう”
“どういたしまして”
“あ、ところでスオウは?”
“あいつなら、いつも通り“ハルシオン”だよ”

 顔見せて安心させてやりなと、カイハクは手を振った。
 いつも心配してもらって…有り難いと思う。
 カイハクとの通信を切って、少し迷ってから“ハルシオン”に通信を送る。シグナルの 音が聞こえて、それからOperatorの声が聞こえた。何度かやり取りをして、スオウに替わ ってもらう。

“アサギ、復帰したのかい!?”
“うん、今日から。心配かけてごめん”
“よかった。心配していたんだよ”
“…有り難う”

 俺が照れくさそうに言うと、スオウはにこにこと言葉を続けた。

“ねえ、アサギ。僕は、君とまた仕事が出来ることを嬉しく思うよ。僕だけでなく、カイ ハクもそうだと思う”
“僕もだよ!”
“それは良かった。悩み事らしいけど、もうふっきれた?”
“ふっきれたと言うよりも……悩んでも仕方ないって判ったんだ”
“どうして悩んでいたか、聞いてもいいかい?”
“その…僕は、君やカイハクのようになりたかったんだ”

 二人のように、仕事が出来るようになりたかった。
 何事にも動じないようになりたかった。
 人間として大きくなりたかった。
 それでも、俺にはそうなることはとても無理そうで。
 今でもなれるのならばなりたいと思うけれど、悩んでもこればかりは仕方ない。
 俺の言葉に、スオウは通信機の向こうで複雑な顔をした。

“アサギ。君の考えていることを僕達は知らないけど”
“何?”
“君はそのままでいいよ。ポーカーの出来ない人間のままでいい”
“どういうこと?”
“ポーカーが出来ると言うことはね、決して、良いことではないんだ”

 スオウはそれで通信を切ってしまった。
 どういう意味だろうか。
 俺は少し考え込んだが、すぐに頭を振ってその考えを振り払った。
 今は、今度の仕事の心配をしよう。
 そう思って、自分に割り当てられた部屋に向かいながら、俺はつくづく感じていた。
 またカイハクやスオウと仕事が出来る。
 俺はここに、カイハクやスオウのいるこの場所に戻ってきたんだ。
 俺は俺の仕事をしよう。
 彼らのように、仕事に誇りが持てるように。



Beruhigung[散文100のお題/72.朝]


 日曜日の朝は、特別な朝だった。
 ずっと意識不明だった団兄ちゃんが、ついに目を覚ましたのだ!
 知らせを受けて、俺はすぐに病院に駆けつけた。
 急ぎ足で廊下をぬけて、病室の前で立ち止まる。
 ドア越しに、人の気配がした。
 話し声が聞こえる。
 医師らしき声と、おじさんの会話。
 おばさんの涙声。
 それから、巌さんと………。
 何故か緊張しながら、ドアに手を伸ばした。
 深呼吸をして、一気にドアを開けた。

「お。よう、久しぶりだな、轟」

 団兄ちゃんが笑いながら右手を上げた。
 団兄ちゃんだ。
 団兄ちゃんが、起き上がっている。
 左手には点滴のチューブが繋がっているけど、呼吸器はすでに取り外されていた。
 おじさんもおばさんも、巌さんも団兄ちゃんも、みんな笑っている。
 団兄ちゃんだ。
 団兄ちゃんだ。

「どうした? 突っ立ってないで入れよ」

 促されて、病室に足を踏み入れた。
 巌さんが席を譲ってくれる。
 団兄ちゃんは、俺の頭にポンと右手をおいて、髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。
 子ども扱いされているようで嫌だったけど、それはよく団兄ちゃんがする仕草で。
 安心した。
 嬉しかった。
 団兄ちゃんだ。
 団兄ちゃんだ。
 団兄ちゃんだ。

 おかえり、団兄ちゃん!



ゲーム名[散文100のお題/73.ドミノ倒し]


「何してるの?」

 ミチコが聞いた。
 タツヤがそちらをチラリと見て、それから答える。

「ドミノ倒し」
「ドミノじゃないじゃない」
「見つからなかったから、代わりにコインでやってるんだよ」
「あれ? 前にユウヤとドミノしたんじゃないの?」
「あいつのは、マグネット製のドミノなんだよ」

 ふーんと呟いて、ミチコは静かに床に腰を下ろした。
 タツヤは一心不乱にコインを一列に並べている。
 何処から調達したのか、ゲーム用のコインが三十枚ほど並んでいた。
 カップの中には、まだまだ大量のコインが残っている。

「ねえ、楽しい?」
「ああ」
「どれだけ並べるの?」
「それがさ、いくつ並べられるかということに熱中してきたんだよ」

 ミチコが呆れたようにため息をついた。


「それドミノ倒しじゃなくて、コイン立てじゃない」



Freund[散文100のお題/74.ベストフレンド]


 団兄ちゃんのその後の経過は順調で。
 俺は何度もお見舞いに行った。
 やっぱり起きている人間のお見舞いに行く方が、ずっと楽しい。
 団兄ちゃんは眠っている間、夢を見ていたんだそうだ。花畑と、河の出てくる夢を。
 さすが団兄ちゃん、予想通り。
 そんな話を、団兄ちゃんと笑いながらした。
 巌さんは最近、新しいプロジェクトが始まったらしくて、忙しそうだ。それでも、何度 かはお見舞いに来たらしい。俺は会ってないけど。

「巌さん来たのなら、会いたかったなぁ」
「会ってないのか?」
「最近はまったく。やっぱり、仕事が忙しいのかなぁ」
「……そうみたいだな」
「なに?」

 少し間があったのが気になって、尋ねてみる。
 すると団兄ちゃんは肩をすくめてみせて

「アイツは器用な人間だが、自分のことになると無頓着でな」

 無理してなければいいが…と団兄ちゃんは続けた。
 巌さんのことを本当に心配しているのが判る。
 もしも巌さんがこの場にいたなら、これじゃあ、どっちが病人なんだかと苦笑するに違 いない。
 いつもは、団兄ちゃんが無茶をして、巌さんがそれを諫めるか心配したりする。何か厄 介なことに首を突っ込んでいることが多いんだ。団兄ちゃんは。
 それでも、団兄ちゃんも巌さんのことを心配しているらしい。
 いつも思うけど、何かいいよな。
 この二人の関係って。

 少しだけ、羨ましく思った。



春の女王様[散文100のお題/75.春]


春の女王様は
薄桃色のドレスをまとゐ
若草色のショールをはおり
銀の玉座にお座りになる

柔和な眼差し
優雅な仕草
気品ある横顔

彼女の言葉は愛となり
彼女の微笑みは慈しみへ
さうして植物たちに降り注ぐ
だから植物たちは
こんなにも萌えてゐるのです
こんなにも命に溢れてゐるのです

春の女王様は
そよ風のマントをはおり
霞のベールをかぶり
銀の玉座にお座りになる

柔和な眼差しと
優雅な仕草と
気品ある横顔を持つ
貴く偉大な方



てんとう虫[散文100のお題/76.彼(或いは彼女)の車]


博物館の硝子の向こうのあの車は、彼の車だ。
彼が作った。
彼が…彼らが開発した。
家族への思いを込めて。
車を庶民の足にしたいと。

虫の名前の愛称で親しまれ、マイカーという言葉を作り出した車。

博物館の硝子の向こうのあの車は、彼の車だ。
彼が作った。
彼が…彼らが開発した。
家族への思いを込めて。
4人乗りの車を作りたいと。

テントウムシよ。
見よ!
今はこんなにも車が溢れている。
昔は、一戸建ての家と同じ値段だった車が。
それもこれも、お前の手柄だ。
そして、お前を作り出した彼らの。
テントウムシよ。
眠れ!
今はただ、安らかに。

お前の遺伝子は、確かに、受け継がれる。



I want…[散文100のお題/77.御伽噺]


御伽噺に求めるもの。


木々。
 そよ風。
  大空。
 翼。
水。
 優しさ。
  大地。
 力強さ。
炎。
 烈しさ。
  ちから。
 魔法。
剣と法律。
 妖精と精霊。
  着物とドレス、マント。
 体温。
心。
 旧世界。
  新世界。
   ファンタジー。



そして…夢。



歌姫[散文100のお題/78.うた]


歌姫がいました。
とある国のとある神殿に。

彼女が歌うは愛の言葉。
彼女が歌うは平和への願い。
彼女が歌うは明日への祈り。

彼女の言葉は歌となり。
彼女の歌は言葉となり。
流れていく。
伝わっていく。

この大陸の。
この空の下の。
すべての人間へ。



かささぎの橋[散文100のお題/79.たとえばこんな愛し方]


 ミユが好きなのは、ロウだ。
 ロウが好きなのは、ミユだ。
 そして、俺が好きなのも、ミユなのである。

「どうしよう」

 ミユが言った。酒のせいか、少し声が掠れている。

「私、ロウが好きなんだ」
「そう、それで?」

 俺はミユの杯に酒を注ぎながら、冷たく言った。
 そんなことを言われたって、俺はミユが好きなんだ。俺にどうしろっていうんだ。
 そう思うけれど、ミユはあまりにも真剣で、今にも泣きそうだ。

「好きで好きで、どうしようもないの」
「それは知ってるよ」
「ヨク…私、どうしたらいい?」

 問いかけに、息を呑んだ。
 どう答えればいい?
 俺はミユがどんなにロウのことが好きか、そしてロウがどれだけミユのことが好きか、 知っている。知っているけれど、俺だってミユが好きで堪らないのだ。
 俺に何ができるだろう!
 ああ、ミユ、そんな顔をしないでくれ。俺の方が泣きそうだ。

「…逢いに行ったらいいんじゃないか」

 ミユは勢いよく顔を上げた。

「そんなことできない」
「何故?」
「だって…だって、迷惑に思われたら嫌だわ」

 ああ、可愛いミユ。そんな心配をしないでもいいんだ。ロウだって君の事が好きなのだ から。

「大丈夫さ。何なら今から行ったらいい」
「でも…」
「大丈夫、俺が保証するよ。だから、ほら、今から行っておいで。すぐそこだから」

 ミユはそれでも暫く躊躇っていたが、やがて静かに顔を上げた。


 ベランダに出ると、ひんやりとした空気が俺を包んだ。
 視線を巡らせると、ロウの家の屋根が視界に入る。
 ミユはどうしただろうか。そう思って、慌てて思考を振り払った。考えても仕方ない。 ミユはロウが好きで、ロウもミユが好きなのだ。
 涙を堪えて見上げた夜空。天を流れる川が見えて、昨日が七夕だったことを思い出した 。


 烏鵲河を填めて、橋を成して以て織女を渡す


 かささぎの橋の役割なんて、随分間抜けな話じゃないか。
 ああ、でも、可愛いミユ。俺だって君が好きなんだ。例え、ロウのポジションにはなれ なくても。



夏[散文100のお題/80.夏の海]


そこは、鮮やかな色彩に溢れていた。

緑の木々!
紅い花!
青い海!
青い空!
白い砂浜!
そして…色取り取りの水着(もちろんお姉さん達)!

カツヒコは、ため息を吐き出した。
手にしていた雑誌のページをめくる。
リゾート地の紹介ページの写真が、紙の向こうへと消えた。

夏は、まだ遠い。







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